楯山の歴史【炭焼】

炭焼き

 

1. 概要

 昔、炭焼きは、楯山の産業のひとつとして貴重な現金収入になっていた。いつ頃から始まったかは定かでないが、昭和45年頃まで続いていた。
 当時、製炭組合があり多いときで25人くらいの人が作っていた。(楯山の人が20人弱、小女房の人を合わせて25人位)
 国有林を払い下げてもらい、年間通して炭を作っていて、夏は遠くの山に、冬は近くの山で炭を焼いていた。
楯山で作っていた炭は、日釜で作った白炭だった。
 作った炭は、炭倉庫に集められ、木炭検査員(地方事務所)の検査を受け業者に販売されていた。

2. 場所

 炭焼きをした場所は、荒海、小升田の国有林だった。遠い所は最上との境界付近まで3〜4時間かけていっていた。
 製炭組合で国有林を払い下げてもらい、組合員で区割りしていた。
 区割りの方法は、場所のいい所は狭く、場所の悪いところは広くしたりし、その都度希望をとったり、くじ引きをしたりして決めていた。
 炭焼きのため伐採された山は杉の植林をしていたが、場所が悪く植林できない山は間伐で払い下げてもらい山を枯らさないようにしていた。
 払い下げのお金のない人は、買取業者よりお金を借りて払っていた。

3. 釜作り

 場所が決まると最初にやるのが釜作り。
 楯山で作っていた白炭用の釜は、日釜(石釜)といわれる釜だった。他に黒炭を作るとめ釜(土釜)もあり、戦前、秋田まで研修に行き楯山でも作ろうとしたが実現できなかったようだ。
 それでは、日釜の作り方を簡単に説明するが、釜作りはかなりの卓越した技術があり、とても文章で表現出来るものでないことを最初にお断りする。
 形は馬鉄の形をしており、一人作業をする人は炭3俵ぐらい出る釜で奥行き4尺、幅一番広い所で3尺、高さ4尺位だった.人手のある人は、5俵くらい出る釜を作っていた。
 最初に石集めをしたが、場所により大変な作業だった。石のある所には土がなく、土のある所には石がない状態だった。また、割れない石、形、大きさ等、石の選定も重要な仕事だった。
 下に平らな石を敷き詰め、次に側面を積み上げって行った。石の間の隙間は土で丁寧に埋められていた。手前に「柱石」、奥の部分に「やく石」という大きな石が置いてあり、「やく石」の裏が煙道になっていた。煙道は下が広く上に行くにつれ徐々に狭くなっていた。煙道は火力を調整する重要な部分だった。
 上の部分の作り方は、3種類あった。
その中で一般的な作り方は、板石を積んで土で固め、その上に板石を3分の1ずらして積みまた土で固め、その作業を繰り返して上の部分を完成さる方法だった。
他の方法は、大きな石を組んで隙間に石を埋めていく方法に、くさび型の石を使って石の橋のように作る方法があった。
 これで、釜は出来あがった。釜は土で覆われていた。斜面に作った釜は、斜面を削りその地形を利用したものだった。
その後釜の乾燥と予熱のため、火をいれた。

4. 小屋作り

 炭焼き小屋は、釜の前に立てた。そこで、炭を休め(冷まし)たり、俵に詰めたりしていた。
 小屋の柱になる部分は、現地で木を調達し、それを組立てて作っていた。屋根になる部分は、わらで編んで作った「とば」をシートのようにかけていた。脇は、近くにかやがあればそれをたてて、なければとばを回りにまいていた。

5. 木の伐採

 払い下げされた山は、杉の植林が出来る場所はすべての木を伐採した。
 場所が悪く杉の植林が出来ない場所は間伐していた。(山を枯らさない先人の知恵だ)
 ナラ、ブナ、シナの木などの雑木を伐採し、太い木は割り、長さ3尺5寸位の長さにして準備した。遠い場所からは、背負って運んだり、近くは投げたり、転がして小屋まで運んだ。
 釜や小屋を作り、最初の炭が出来るまで半月位かかった。

6. 炭焼き

 十分加熱された釜に準備した木を「たてまっか」という道具で入れ、約24時間で炭を焼いた。
 火力調整が炭焼きの重要なポイントで煙道の出口と空気穴で調整していた。炭の焼き具合を確認し、いよいよ釜から炭を出す。炭を出すときは、小屋を焼かないように屋根の「とば」を少しはがして作業した。
 「こねくり棒」と「だすがっこ」と言う道具で炭を釜から出した。
釜からでた炭は、「おががっこ」という道具で炭を休める場所に集め、ごんべ(土と灰汁)を掛け、炭を休ませた。(火を消し冷ました)
 冷めた炭を、「かぎ」と言う道具でごんべの中から炭を浮かし、「こまざれ」(熊の手)で炭を取出した。
 取出した炭を竹で編んだ「みぃっけ」と言う道具で俵に詰めた。このとき、「みぃっけ」から小さい炭はふるい落された。
 また、「すんべ通し」と言う道具で製品にならない細かい炭を選別していた。
 俵に詰めた炭は、小屋に下げている棒秤で重さをはかり(1俵4貫目)、ふたをして出来あがった。
製品にならない、すんべ(細かい炭)は隣近所にあげたそうだ。

7. 炭の販売

 出来た炭3俵を背負って炭焼き小屋から、山を越え川を渡り、木炭倉庫まで運んできた。
 集まった炭は、地方事務所から来る木炭検査員の検査を受け業者に販売された。
 木炭検査員は、1週間〜10日に一回来て検査をしていた。
業者は、農協など4〜5社位あった。
炭が売れない時期は、松山まで行商にいった人もいた。
戦後の食料難の頃、米1俵と炭10数俵と交換されていた。

8. 炭焼き人の一日

 朝起きると炭焼き小屋に向かった。遠い所は4時間くらいかけていった。
また、雪が深い時などは、炭焼き小屋につくと昼になるときもあった。
 小屋に着くと釜の状態を確認し火力調整し、前日出した炭を選別したり、俵に詰めたり、木を伐採した。
そして、釜から炭を出し、ごんべをかけ、釜に木を入れた。
釜の火力を調整し、炭の入った俵3俵を背負い木炭倉庫に運んだ。
 夜、家に帰ると縄をなったり、俵を編んだり、わらじを作ったりした。こういう作業は子供も手伝っていた。
炭焼きは、とても大変な仕事だった。

9. 用語説明

ごんべ
 炭を消し、冷ますためかけた土で灰汁と混じり黒くなっていた。

すんべ
 製品にならない細かい炭

とば
 小屋の屋根や側面にかけたわらで編んだ物で、シートのようなもの。

たてまっか
 先端が二又で鉄でできた、木を釜に入れる道具。

こねくり棒
 先端10センチ位90度に曲がっている鉄棒に柄のついた、釜の中の炭を出す道具。
だすがっこ
 先端に鉄板がついた、釜の中から炭をだす道具。

おががっこ
 木でできている、釜から出た炭を炭を休める場所に集める道具。

かぎ
 かぎの形をした、ごんべの中から炭を浮かせる道具。(自然の木の枝を利用)

こまざれ
 木でできた、ごんべと炭を分ける熊の手のような道具

みぃっけ
 竹で編んだ、炭を選別し俵に入れる道具

すんべ通し
 木の枠に金網のついた、製品にならない細かい炭をふるい落とす道具。