桔梗との出会い

 桔梗に対する記憶は長野県小諸に居た時であった。小学何年生の頃かは定かでないが、毎年お盆の飾り付けのため、近所の山に行き女郎花、萩、桔梗などを採った。その時、藪の中に一輪、二輪と咲く紫鮮やかで楚々とした桔梗が強く印象に残った。
 そし後、中学3年生の時に横浜に移り(1957年)、暫くは桔梗とも離れたが成人した頃だったろうか、思いついて花屋から桔梗の種を買い求め蒔いた。それが育て始めであった。
 その後、友達が白の桔梗を持って居るというので、珍しく思い種を貰って蒔いた。しかし、紫しか出なかった。友達に話し再度種を貰い蒔き白を出した。
 暫くして、所帯を持ち千葉に家を建て桔梗も育てた。この頃は桔梗には紫と白しか無いと思っていた。
 それから、故あって山形県小国町に移った(1980年)。
 此処で桔梗のピンクに出会った。早速、種を貰い蒔いたが紫しか出なかった。勘違いして紫の種をよこしたのでないかと疑った。翌年また種を貰い蒔いた。紫が多く出たが確かにピンクも出た。その時、もの凄く感激したのを今も忘れない。
 そして、ピンクは紫と白の交配の結果だろうと思い人工交配してみたが成功しなかった。そんな事をしている時、偶然白に三分の一紫の混ざったものが出て小躍りした。しかし、翌年は白しか咲かなかった。
 桔梗の宿根も増えたのですぐそばの駅の花畑に何本も植えた。白も植えた。
何年か経って駅に行って見ると、株が大きくなり、茎が30本出る程に成長していた。その茎の数本に紫混じりが咲いて居た。更に同じ株から出て居る茎によっては、ピンクが咲いていたのには驚いた。丁度、サツキの咲き分かれみたいなものだ。長年経ち、根も大きく成り茎の本数も何十本ともなるとこう言う現象も出る様だ。そして、この桔梗は翌年心ない人に持っていかれてしまった? 或るいはネズミに食われたか失せてしまった。
 それから、私が育った長野県小諸市の母の実家に、紫に白の斑模様の桔梗が有ったのを思い出し種を送ってもらった。蒔いたが紫しか出なかった。
そんな事をしている時、偶然に紫の八重が出たり、ピンクの八重が出た。この時は本当に喜んだ。大事に大事にして種を採り、翌年種を蒔いた。しかし、蒔いた種の殆どが紫で、ほんの数パ−セント、種と同じ種類が出た。
 何故、八重が出るのだろうか、勝手に推測するならば、交配が二度され、5弁の中に更に5弁が交配されたのかな?
 又、或る時、近所の家で矮小の紫桔梗を見つけたので、それを頂いて育てた。名前はアポイと言う様で、北海道のアポイ岳周辺に生息するのだろうか?これは幾らか早咲きである。
 そして、ある時、中背の紫の早咲きが出た。これは従来の背高の紫とこのアポイが交配したのだろうと推定する。その後、白の矮小が一株出たがまだ増やしていない。
 そして、1995年頃近所の家に、白に紫の霜降り模様の桔梗があるのを見つけた。持ち主の名前に因んで"トミコサン"と名付けた。その種を貰い、翌年早速、種を蒔いた。そして、出てきたのは、紫が90数%、白が数%、白地に紫の色々な模様のものが1%位で出た。
しかし、親とソックリの模様は出なかった。これは、何回か似たようものの種を蒔けば必ず出ると思う。
 時が過ぎ、2009年に突然変異で内側が薄い銀色様な白、外側が藤色の様な紫の花が2本出た。大事にして種を採り、翌年蒔いた所、案の定紫が50%以上であったが、種と同じ物が出た。その種を又採り翌年蒔き増やした。
 余談であるが、他の色と区別するため藤紫をフジムと名札に印した。その後、フジムをフジンと置き換え、更に婦人、更に私の姓の木内のキを貴に置き換えて"貴婦人"と命名した。
 それから、最近になって桔梗の花言葉を調べたら、何と素晴らしい花言葉かと、私が最初に出会った時に、深く印象に残っただけの事はある。幾つもの言葉で賞賛されている。
 さて、此処までは桔梗との付き合った経過を記したが次に、性質、特徴、殖やし方とかを箇条書きにしてみる。(時間と暇があれば人工交配してもっと珍しい結果出せるかもしれない。)