山のことあれこれ 14

2007年01月30日(火)

 快晴である。それにしても雪が少ない。これだけ少ないと除雪に関わる方々や商店の売り上げなど、町経済に及ぼすマイナス材料を無視できなくなる。小国町では「雪が少なくて良いですね」という言葉は相手を選んで使用しなければならない。

飯豊連峰定点観測 2007年01月30日

2007年01月27日(土)

 天童の県運動公園で山形県山岳連盟の理事会が開催された。最大の議題は今春の役員改選であるが、9月の海外遠征、日山協から見放された準指導員、20年度に山形県で開催する東北大会(国体は20年度からボードのみになる)、自然保護委員会・・・課題は山積している。会議の後、合宿所に泊まり、夜も話し合いが続いた。

山形県山岳連盟理事会の様子

2007年01月20日(土)

 終日、小国山岳会25周年記念誌の編集会議。その後、町内のとある店で開催された小国山岳会の新年会に出席。翌日の餓鬼山に備えて若干?セーブ。

2007年01月13日(土)

 山は新雪で覆われていた。今日、何度目かの挑戦。沢沿いに杉林を登る。雪が少ないので沢が露出しており歩きにくい。目指す猟場は尾根の陰である。尾根を越えて猟場に入った兎の足跡があり、期待できそうだ。尾根に上がった所が杉林の頂点になる。ここで3人がそれぞれの持ち場につく。
 足場を固めてザックを置く。やがて下の方から微かに勢子の声が聞こえてきた。銃を持って立ったまま身動きせず、自分の受け持つエリアを満遍なく凝視する。できるだけ顔も動かさず眼だけを動かす。
 今年から上下二連銃を使用し始めた。この銃はこれまでの自動銃と異なり、銃身が縦に2本ある。上の銃身は筒先が小さく、下の銃身は大きい。筒先が大きければ散弾は早く広がり手前の標的に適し、小さければ遠い標的に適していることになる。安全装置の解除方法はO(オーバー)とU(アンダー)の2方法がある。Oにすると初弾は上の銃身から出、Uにすると下の銃身から出る。通常、初矢は下の銃身とし、二矢(にのや)は逃げていく標的を上の銃身で撃つことになる。
 勢子の声がはっきりと聞こえてきた。安全装置をUに入れる。眼を凝らすと杉の木立を真っ直ぐに走ってくる兎が見えた。すかさず銃を構えて2発撃つ。兎の姿を見失ったと思ったが、何と右上の斜面をスローモーションで登っている。弾帯から弾を取り出そうとするが軍手が滑る。なんとか弾を装填し撃つ。止まったと思ったら、また動き出した。撃って、すぐに装填。兎は雪の中に座り込んだ。念のため狙いを澄まして止めを撃つ。動かなくなったことを確認して方向を変え、杉林に銃を向ける。
 やがて勢子が到着した。弾を抜き、兎まで登る。絶命している兎を持って皆の所まで戻ろうとすると、先ほどから身体が震え続けていることに気付いた。

徳網山を見上げる

2007年01月09日(火)

 昨年7月7日付けで「飯豊朝日山岳遭難対策委員会、遭難救助隊長」の辞令書を小国町長から拝命した。幸い2006年は遭難事案2件(共に梶川尾根)と少なく、2件とも生命に異常なくヘリコプターで吊り上げることができた。2007年も事故の少ない年であって欲しいと願っている。
 さて、昨年末に予防と発生時の対応を評価頂き、小国警察署長から感謝状を頂いた。これは隊員一同の日頃の活動が認められたものである。

署員の皆さんと受賞者一同で記念撮影
鈴木署長より授与 感謝状

2007年01月08日(月)

 元旦の夜、義父から「葉山神社、明治38年」と書かれた幟を拝見させていただいた。長井盆地では、葉山を西山、白鷹山から連なる峰々を東山と呼んでいる。この西山と東山の真ん中に最上川が南北に流れている。義父の家は東山の中腹にあるが、この東山にも葉山神社があり、幟は東山にある葉山神社のものと言う。
 一緒に見せていただいた奥村幸雄氏の「山形県置賜地方におけるハヤマ信仰の実態」には東山の葉山神社を貝生葉山、西山の葉山神社を白兎葉山と書き分けていた。さらに貝生葉山について「昔、この葉山から西山のハヤマに向かって白鷺が飛び立ち、ハヤマ神はそれ以来西山のハヤマに移ったと言われている。それまでは荒砥地域に水不足がなかったが、ハヤマが移ってから、時々水不足をきたし、逆に西山の方が水不足から解放されたと伝えられている。」との記述があった。
 葉山の山麓にある葉山神社(遥拝所)付近の地名は白兎であり、地元では「しょさぎ」と呼称している。そういえば関川村にある光兎山は「こうさぎさん」と発音している。登山者情報第777号に「光兎山から沖庭山に仏像が飛んできた」と記載した。平田大六氏は「20世紀からの伝言」に「文献には光鷺山という文字も見える」と述べている。
 白兎葉山は山頂に葉山権現と月山権現を祀った奥の院があり、大朝日岳・祝瓶山(岩上山)と共に修験修行の霊場であったと言われている。光兎山も修験者の山として著明である。
 この二つの山に、@兎=鷺=サギ、A空を移動、B山岳修験という共通事項を知り、兎年の著者には因縁を感じる新年の幕開けであった。

2007年01月07日(土)

 爆弾低気圧が近づいている。徳網公民館に集合し、鉄砲を持って兎の巻き狩り。昨年と同じ場所なのだが、雪が極端に少ない。雷が轟くみぞれの中、動かずに鉄砲を抱えて立っていると、濡れた軍手が凍えてくる。あいにくと私の持ち場には一匹も姿を現すことなく終了。昼からリフレで猟友会の新年会に参加する。
 8日は餓鬼山から北の町境を歩く予定であったが、天候により中止とする。

2007年01月03日(水)

 一人で蕨峠から餓鬼山に登る。痩せ尾根がえんえんと続く。山頂から先の町境はかなりの急斜面で、この時期はロープが必要のようだ。

2007年01月01日(月)

 快晴の正月を迎えました。

朝日連峰
祝瓶山
飯豊連峰
梅花皮岳と北股岳
飯豊山
大朝日岳
小朝日岳

2006年12月31日(日)

 昨日から今日にかけて、熊谷達也さん著「相克の森」をいっきに読み終えた。先日購入して暫く棚ざらしになっていたものである。熊谷さんはマタギサミットで何度かお見かけしている。最初の書き出しがこのマタギサミット、内容が山北町を舞台としており、すぐに見覚えのある方々の顔が浮かんだ。熊猟を取り巻く環境が見事に描かれており、ついつい引き込まれてしまった。

2006年12月13日(水)

 新発田市のカルチャーセンターで「バンダイ朝日国立公園飯豊地域登山道に関するワーキンググループ」に出席した。松本清さんを招き、座長は前回に続いて小荒井さん。梶川尾根と切合で行った実証試験の実施状況(第1048号1050号)を報告し、松本さんから助言を頂いた。次いで飯豊連峰の整備方針を論議し、各登山コース毎に整備水準を検討した。最後に今後のスケジュールを確認して終了。
 その後に会場を五頭山麓の山友荘に移し、各団体のメンバーを加えて松本さんから巻機山で行っている植生復元作業について話を伺った。書籍では知っていたが、スライドを使った直接の講話は得るものが多かった。 夕食は当然ながら各人が入り乱れた大懇親会となった。
 関連ホームページ=日々是好日(闇鍋に掲載)

橋の上から杁差岳と胎内スキー場を望む
座談会で松本さんから巻機山での植生復元を学ぶ

2006年12月12日(火)

定点観測 2006年12月12日朝日連峰
定点観測 2006年12月11日飯豊山

2006年12月11日(月)

 川西山の会から、創設50周年祝賀会の記念写真が届いた。祝賀会の様子は「あれこれ13」に掲載している。50年前といえば私はまだ5歳、私の物指しでは計ることのできない長い年月である。その積み重ねてきた歴史を思いながら、ひとつの山岳会が継続していくことの意味と難しさを感じざろう得なかった。
 川西山の会と私の因縁はあまりに沢山あり書ききれないし、果たして公開して良いかどうか判断すらできない。ともあれ私が社会人になりたての頃、いつも私の正面に居たのがこの会であった。川西山の会にある意味では反発し競争し山に登っていた時期が、私には確かに存在する。
 祝賀会当日、懐かしい顔ぶれの方々と酒を酌み交わしながら、山岳団体の変遷に思いを馳せると同時に、来賓の各団体と明日の山岳組織再編成に向けて積極的に情報交換をしていた私がいた。

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