山のことあれこれ 4

{この頁は、井上の個人的な日誌です。}

2005年8月24日(水)
09:00から米沢で「猟銃等講習会」を受講する。午前中は手続き等の法令、午後から猟銃についての講義であった。猟銃の安全装置は引き金が引けなくなるというだけで、僅か20cm落としただけで80%の猟銃が暴発し、50cmでは100%暴発したというテスト結果は興味深かった。また、弾丸の到達距離は長いものの殺傷力を持つ距離は短く、散弾が人間に当たっても砂を掛けられた程度しか感じないが、当てられた一般人は当然ながら大きな精神的衝撃を受ける、トタン屋根に落ちた音に驚いて警察に通報する方もいるとのことである。講義を重ねるほど、猟銃を所持し使用することの重大さに身が引き締まった。最後に1時間のテストがあり、すぐ採点し「番号を呼ばれない人は退室してください」と告げられた。ぽつぽつと番号が飛んでいる、幸い室に残ることを許され、講習終了証明書の交付を受けた。
帰宅後、運動不足なので「ゆ〜ゆ」から健康の森までジョギング。
2005年8月21日(日)
山形市の林業会館で「狩猟免許講習会」を受講する。午前中は法令の解説。堅苦しい話の中に時折混じる身近の事故例や、自然と人間が直面している様々な問題点を狩猟者の視点から考えると言う得がたい経験ができた。また午後からは狩猟対象鳥獣と非狩猟対象鳥獣の見分け方を学ぶ。カモ類は結構難しい。さらに模擬銃(といっても本物と同じです)を使って操作方法になる。ずっしりと重い銃を手に解体や組み立てを何度も練習した。
2005年8月20日(土)
MNHと予定していた山行をドタキャンして福島へ。MNH申し訳ありませんでした。
2005年8月19日(金)
最近の遭難の多さに、「お払い」と称して山岳会役員会をODD宅で行った。席上、新しい負傷者搬送用具の材料が並べられ、アルコールが回るに連れて次々とアイデアが出された。基本的な案ができたので、LFDとQVHが中心になって試作品の製造を行うこととした。仮称OTS(オタスケ)は小国・武田・齋藤(菅野)の頭文字を取って勝手に名づけた。これからどのようなものができるか楽しみである。
2005年08月10日(水)
帰宅すると「岳人9月号」が届いていた。早速開いてみると、85ページに1ページをまるまる使って「小国山岳会と小国町猟友会が渓流地図を作成」という記事が掲載されていた。さすが編集部服部さんの文章と感心。ありがとうございます。
2005年08月09日(火)
朝、ODDと交信すると、梅花皮小屋だけで既に20名が丸森尾根を下山中とのことである。丸森尾根最下部にスズメバチの巣があることを告げ、無線等で周知を依頼した。舟山堅一氏・NOOと対策を相談する。昨日、県の自然公園担当者に相談したところ「予算はない。対応は独自」との返事であった。厄介なのは、地面の中に巣があると言うことである。私はこれまでに桧山沢吊橋袂と婆マクレで地下にあるスズメバチの巣を処理したことがある。その経験からして、石油で焼き払う方法が最善であると考えた。できるなら夜に作業をしたいが、登山者が下山している現実を考えるとそうはいかない。堅一氏と私の二人で対応することにした。置賜森林管理署に電話を入れ現状と除却方法の許可を口頭で頂く(登山者の人命に関わるので即断いただいた)。
天狗平で堅一氏と待ち合わせし、丸森尾根を登る。巣から5m程手前で服装を整える。黒いものを狙ってくるのでタオルと帽子で頭を多った。最も専用の服装など持っていないので刺されたらひとたまりもない。暫く巣を観察する。堅一氏の指摘どおりに枯れた木の根脇の潅木(刈り払ってあるので高さはない)の特定の場所から出入りしている。一人で刺激を与えないよう静かに近づき、石油2Lを出入口周辺に撒く。すかさずトーチ棒の要領で点火する。巣中の蜂は飛び立つタイミングを完全に失った。登山者が一人下ってきたが、危険なため手前でストップしていただいた。燃え盛る巣を目掛けて狩りに出ていた働き蜂が次々に戻ってくる。観察していると、炎に近づきすぎ羽を焼かれる者も少なくない。加勢が弱くなると巣の周囲に蜂がたむろする様になった。ゆっくりと近づき蜂スプレーを噴射すると、瞬間的に火炎放射器のように炎が広がり蜂を焼き尽くす。作業をしている私達に蜂が迫ってくるので、一人が作業をし、もう一人が蜂を観察し近づいたらすかさず蜂スプレーで迎撃を行った。一段落した所で登山者に下っていただく。次に枯れた木の根を外し、土を掘るが巣は確認できない。巣を壊滅させるために、石油1Lを掘った穴に撒き、再点火する。巣を焼き尽くした後に、持参した3Lの水を口に含み霧状にして吹き付け完全に消火する。その後に石を集めて穴を覆い景観修復を行う(蜂がいるため完全な修復は後日とした)。これで巣は壊滅したが時折蜂が戻ってくるので「蜂に注意」の標識を立て、下山した。
なお、07:40頃MXLより「ホームページが動かない」と連絡を受ける。昨夜の表紙改定時に誤ったらしい。急遽修理する。08日夜から09日朝にアクセスしていただいた方に、ご迷惑をおかけしました、お詫びいたします。

現場 中央右手に巣がある 中央やや右の藪から蜂が出入り 石油に点火する
戻ってきた蜂を焼く 処理後 とりあえず仮修復し、標識を立てる

2005年08月08日(月)
登山者から「蜂に刺されたがどうすれば良いか」の問い合わせがあった。スズメバチではないとのことなので、ショック症状などがなければ自分で判断してくださいと答えた。その後、三島より「引率パーティの数名が蜂に刺された。舟山堅一氏が確認した所、スズメバチとのことであった」との電話があった。
2005年08月06日(土)
LFDと共に大日杉から登り、単独で石転ビ沢を下る。各小屋での飲みすぎと酷暑により、自宅に帰ると微熱があった。頭を冷やして寝る。→詳細は第942号
2005年08月03日(水)
VCKが児玉・山口パーティだけでなく、一般登山者(男性)の面倒も見ながら石転ビ沢を登りきり、梅花皮小屋に到着と連絡あり。
2005年08月02日(火)
明日VCKが石転ビ沢を登るとの情報が入ったので、児玉・山口パーティのサポートをしてくれるよう梅花皮小屋のOTJを経由して頼む。
2005年08月01日(月)
昭文社の中島さんから電話がある。7月21日遭難者が「山と渓谷社の地図では分からなかったので迷った」と語っていたこと等を例に、これからのエアリアマップのあり方、昭文社でインターネットサイトを活用する具体的な方法等について意見を交換する。
2005年07月30-31日(土・日)
朝日地区生態系保護、巡視員として合同パトロールに参加。針生平から登り大朝日小屋に泊まる。途中の無線交信によると、「梶川出合で単独の女性が渡渉の際に転倒し頭部からの出血があった。偶然通りかかったMDEが応急処置を行い付き添って下山した」とのことであった。小屋では80歳大場さんのパワーに圧倒された。→詳細は第939号
翌日は往路を戻る。帰宅後に無線を入れると梶川尾根滝見場で遭難発生。警察署に駆けつけ、無線で情報収集しながら対応する。最上動けないため新潟県防災ヘリはくちょうにより吊り上げ成功。→詳細は第940号
2005年07月29日(金)
昨日の遭難者捜索。途中、門内沢にいる遭難者を発見、最上動けないため福島県防災ヘリで吊り上げる。4名全員無事、何よりである。午後から出勤。→詳細は第938号
2005年07月28日(木)
夕方警察署長室で話をしていると、助けて欲しいと110番が入った。捜索の指揮と翌日の対応を検討する。
2005年07月26日(火)
朝、小国警察署より電話があり、昨夜は針生平までパトカーを出したが見つからず、本日05:00頃に車道を歩いていた二人を通りかかった方が発見した。二人は霧ノ沢にある国土交通省の気象観測上の床下で一夜を明かしたとのことであった。台風が接近したためKDG(基督教独立学園)の全パーティが下山を開始する。昼過ぎには全員無事下山の報が入る。
2005年07月25日(月)
18:30より梅花皮荘で山岳救助隊飯豊班の研修会と懇親会に出席。新しい顔ぶれが揃い、飯豊班も充実してきた。懇親会の席上、PWDから私に電話がきた。「先ほど民宿麓から小国警察署に電話があった。内容は{「小屋から電話をしています、女性二人今晩止めてください」と宿泊の予約が入っていたが、暗くなっても来ないので心配だ}とのことである。帰途、小国警察署に立ち寄ったが、救助要請が明確でないので、もう少し様子を見守ることとして帰宅した。

カッパ搬送法 ロープの結び方を先輩隊員が指導する

2005年07月24日(日)
単独で足ノ松尾根を登り、杁差岳と地神北峰まで。頼母木山のイイデリンドウは盛りになっていた。下山後、新築の奥胎内ヒュッテを見学させてもらう。→詳細は937号
2005年07月23日(土)
疲れきって08:00まで眠る。終日山道具の洗濯や書類整理。
2005年07月22日(金)
02:30起床し石転ビ沢中ノ島(草付キ)で救助作業。山形県防災ヘリ最上が救助作業途中でトラブル発生し、県警ヘリ月山でなんとか収容。→詳細は第935号
2005年07月21日(木)
早朝から丸森尾根を登り遭難者捜索活動。梶川尾根で遭難者と合流し、付き添って下山する。午後から出勤。夕方遭難発生の連絡があり、小国警察署で救助の指揮と翌日の対応を検討する。→詳細は第934号第935号
2005年07月20日(水)
夕方に遭難の連絡があり、小国警察署に行き対応策を検討。→詳細は第934号
2005年07月19日(火)
おぐに開発総合センターで飯豊朝日山岳遭難対策委員会総会に出席。席上、警察署長から登山者カードと個人情報の関係について指摘があった。今後検討していきたい。
2005年07月18日(月)
置賜森林管理署の皆さんと一緒に梶川尾根〜丸森尾根の合同パトロール。主稜は終日雲の中、ニッコウキスゲが見事。下山後は有志で反省会。→詳細は第932号
2005年07月16-17日(土・日)
VCKと共にダイグラ尾根を登り梅花皮小屋泊、翌日石転ビ沢を下山。VCKの体力に改めて脱帽。→詳細は第931号
2005年07月14日(木)
山道具を整理していると無線機からMXLとOTJの会話が流れてきた。「現在梅花皮小屋に宿泊している1名は、石転ビ沢上部でルートを左に取り過ぎ、梅花皮岳方面に登り詰めて縦走路に出て小屋に辿り着いた。」ここまでは良くある話である。「今しがた1名の登山者が小屋に来て話すには、4名パーティで石転ビ沢を登ったが、ルートを誤り梅花皮岳に登ってしまった。まだ3名が沢の中にいるので、戻るとのこと。」時計を見ると19:30を過ぎている。私も話しに加わった。「視界は約20m、ヘッドランプの光は足元しか届かない。念のため登山道を梅花皮岳まで行ってみる。」とOTJ。いったんメンチャンに戻り夕食を摂っていると、PWDより「全員無事小屋に到着」との電話があった。翌朝OTJに尋ねると、「黒滝の上で方向を誤り、梅花皮岳直下に登りきってしまった。」とのことであった。929号の空中写真を見ると、確かに黒滝から左上して梅花皮岳に向かう雪渓があった。
2005年07月10日(日)
国体予選、縦走競技主任審判員。
2005年07月09日(土)
目覚めて風呂に入り帰宅、書類や山道具を確認して天童市のスポーツセンターに向かう。今日から2日間は国体予選会兼東北大会予選会の審判員である。審判員会議・監督会議・開始式とこなすが、暫く審判員業務から遠ざかっていたので戸惑うことが多い。特に登攀については、ひとつひとつ確認する。午後から屋外に設けられた人口壁で審判。
2005年07月08日(金)
16:30過ぎに遭難発生の一報が入った。仕事を片付けて小国警察署に向かう。発生箇所は烏帽子岳と御手洗ノ池の間。発生時刻は09:00頃、2名パーティ中1名が約300m残雪上を滑落。残り1名が下って確認した所、会話にはならないが発声あり、四肢の動きなし。寝袋を掛け。助けを求めるために本山小屋に向かったが管理人が不在のため、前日泊まった梅花皮小屋に戻り、16:30頃管理人であるOTJに助けを求めて来た。小国町役場担当課より連絡を受けた私は、早々に仕事を片付けて小国警察署に直行し、情報の収集整理を行った。問題は最後の確認時点でまだ生命反応があったということである。雪渓上でこのまま夜を越せば死亡する確率が飛躍的に高くなる。生死の確認と応急手当・保温処置・これ以上の転落の防止が緊急に必要である。防災ヘリ最上が現場に急行したが、付近は雲に覆われて確認できないため、長井市に待機している。ヘリは極めて有効な救助用具であるが、有視界飛行のため使えない時には全く役に立たなくなる。そこで警察署長と協議し、救助計画を作成した。@梅花皮小屋管理人OTJは通報者を伴い現場に急行する。そこで正確な遭難位置と遭難者の状況を確認すると共に、転落防止・必要な応急手当・夜を過ごせる保温を行うこと。A地上隊として6名の精鋭部隊を編成し、午前2時30分に小国警察署を出発し、石転ビ沢を登り現場に向かうこと。B警察ヘリ月山で2名の特別部隊を現場近くの稜線に搬送すること。以上3点を確認し、すぐさま隊員の確保と出動準備態勢に入った。土日であっても勤務している隊員は少なくない。各々が勤務先に休暇の交渉をしている。私も明日から国体予選の主任審判員業務が控えている。県岳連会長に電話をし、なんとかしてくれと頼み込む(後日談だが、大滝会長から連絡を受けた粕川競技委員長は真っ青になったとのことである)。私はいったん帰宅し装備を整えて明日のフライトに備えた。その後警察署に電話をした所、防災ヘリ最上が遭難者を発見したとのこと、急いで警察署に向かう。最上は日没のため本日の捜索を諦め神町に帰る途中、念のため現場上空を経由したところ、偶然に雲が切れて遭難者を発見、直ちにワイヤーで隊員が下降し吊り上げに成功したとのことであった。吊り上げ成功の報に小国警察署は歓声に包まれた。しかし第2報は「心肺停止・硬直」、一瞬にしてその場が凍りついた。ともあれ明日の出動に向けて準備を始めている全隊員に、出動中止の連絡を行った。後日OTJに場所を確認すると、亮平ノ池から約200m南に進んだ所で、夏道が残雪に覆われている境とのことであった。
その後、私は川入荘に直行し「飯豊朝日を愛する会総会」に遅れて出席となった。既に会議は終了し、懇親会となっていたが私の席は確保されており、飯豊連峰・朝日連峰の管理について意見を交換した。
2005年07月07日(木)
小国中学校で講話
2005年07月03日(日)
梶川尾根から門内岳
2005年07月02日(土)
飯豊連峰山開き
2005年07月01日(金)
倉手山
2005年06月30日(木)
県高校体育連盟登山部指導者講習会
2005年06月26日(日)
またぎサミット
2005年06月25日(土)
藤田梨絵結婚式
2005年06月19日(日)
石転ビ沢、北股沢出合まで
2005年06月18日(土)
朝日村スマイル
天狗平ロッジで県岳連指導員会
2005年06月13日(月)
ダイグラ尾根遭難
山地図完成

2005年6月11-12日 日本山岳協会指導委員研修会・総会に出席のため上京。駅では人酔い、道路では酸欠、会議室では冷房に震え、ファーストフード式の朝食はビールで無理やり飲み込む。結局元気だったのは懇親会だけだったかも。それでも神尾Drの講義はしっかりとメモ、日山協指導委員が抱えている問題点を把握、何よりも全国から集まった各県の指導委員長達から、大きな刺激を受けてきました。

都岳連顧問ドクターである神尾重則先生の講和
突然死と熱中症の話は大変参考になりました
全国から集まった各都道府県指導員長の皆さん
小野寺日山協指導委員長
日山協指導常任委員の皆さん
2005年06月06日 飯豊連峰定点観測
2005年06月06日 朝日連峰定点観測

2005年6月5日 午後から用事があったので、山菜取りに出かける。
山菜と一口に言ってもその種類は多い。当地で一番良く食べられるのはワラビであろう。アクを抜きオヒタシにして食べると美味である。ワラビは山菜と言うより野菜と山菜の中間であると思う。山間地の先人達が各々の土地と植物の生態をたくみに組み合わせて、容易に山菜や木の実を利用できるようにしてきた。ワラビの場合は、適当な斜面に早春、火を入れることにより他の植物の生育を抑え、ワラビ園として利用してきた。であるからワラビは管理された山菜と言える。また藪ワラビと証して林の中でも採取できるが、量を確保するのは容易でない。小国町の観光ワラビ園は日本で最初に開設されたものであり、山菜初心者は観光ワラビ園の利用をお勧めする。
一方、ワラビの対極にあるのがゼンマイである。ゼンマイはいまだに天然採取が基本である。ワラビは日当たりの良い斜面を好むが、ゼンマイは渓谷の急峻な斜面を好む。以前、ゼンマイ採取地は各人のテリトリーが決まっており、沢を順番に回り常に次回を意識して採取してきた。例えばオトコゼンマイ(胞子)は折っていけないし、オトコゼンマイの株には嫁さんとしてオンナゼンマイ(葉)を残してくるものとされ、これを守らないと良くないことが起きると伝承されてきた。
ゼンマイ採りには常に事故が付いてまわる。ワラビ園は集落に近いがゼンマイは深山に行く。特に山間集落の過疎化によって専業者がいなくなり、都市部の素人が入って根こそぎ採っていくため、ゼンマイ採りはますます奥山に追いやられている。私の取り付けは、当町の中での特に危険な場所と言われている。実際にキノコ採りであるが知人の遺体を担いだ場所でもある。
私がゼンマイ採りを始めたのは、トレーニングの延長である。急な崖をロープなしで移動し、何時抜けるか分からない雪触地形独特の根曲がり潅木にぶら下がり、僅かなスタンスに立ち、ゼンマイの根を手掛かりにバランスを保ってゼンマイを折っていく。崩壊しかけた残雪の厚さを確認しながら渡り、ピッケルなしで急斜面を登降する。一人では立つことのできない量を担いで、道のない藪や谷を強引に登って降る。
ゼンマイ採りは登山技術の総合力が試される格好の訓練なのである。

2005年6月4日 午後から用事があったので、山菜取りに出かける。

山菜採りの場所 ヒラタケ
ゼンマイ
ウルイ
ウド

2005年5月26日 山形県置賜地方(除く米沢市)の主任保育士さんの研修会で1時間45分の講話、タイトルは「小国の山を歩く」。話は途中下車ばかりで統一のない雑談に終始した。

2005年05月20日 飯豊連峰定点観測
2005年05月20日 朝日連峰定点観測
2005年05月11日 飯豊連峰定点観測
2005年05月11日 朝日連峰定点観測

2005年5月9日 19:00KDGの食堂で連休キャンプに向けた講話を行う。うっかりして原稿(といっても単なる要点メモ)を忘れてしまい焦る。しかたなく記憶を辿りながら実技中心に話しを纏める。後半は吉田岳さんと一緒に具体的な各班の留意点や質問・相談に対応。

2005年5月1日 KDGに菅野享一・横山利夫さんと訪問する。午前中は講堂で生徒に登山の一般的な話を約1時間し、生徒や先生方と一緒に食堂で昼食をご馳走になる。午後は外に出て実技を行う。杁差岳パーティは菅野さんがつききりでピッケル技術を教える。他の生徒は井上と横山さんが担当し、長靴で固い雪の斜面を歩いたり、滑った時の対応方法を練習する。滑った時はすぐさま回転しうつ伏せになること、両脇を締めてボクシングスタイルで雪を掻き集めること、両足を開いて体の回転を防ぎ足から落ちること、足の爪先を上手に使いブレーキを掛けること、以上が主なポイントである。午後というのに雪は硬く、長靴の爪先ではとても足場ができない。長靴のサイドを使って蹴り込むと結構安定する。これで結構な急斜面でも上り下りができた。前校長先生も生徒と一緒になって雪上を転がっていた。最後は、木の間に張ったロープでチロリアンブリッジの練習をして終了とした。

菅野班はピッケル・アイゼンワークを練習した
長靴班は歩行訓練と滑落時の体さばきを練習した
チロリアンブリッジの練習

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