山のことあれこれ 7

2006年01月29日(日)

関川山の会副会長である渡辺龍吉さんの藍綬褒章受賞披露祝賀会が高瀬温泉あらかわ荘で開催された。渡辺さんは73歳、1970年から1984年にかけて今西錦司さんと飯豊山周辺の山を毎年のように同行している。また山岳遭難救助にも管轄内だけでも13回にわたり活躍し、杁差小屋・梁山泊・大熊小屋・梅花皮小屋の建築に携わっている。さらには「飯豊連峰三県合同遭難対策会議」の発案者でもある。心から受賞を祝したい。

司会の横山関川山の会事務局長 平田大六関川山の会会長の挨拶
近村議会議長の祝辞 佐藤村助役の祝辞
山田新潟県山岳協会副会長の祝辞 山崎日本山岳会越後副支部長の挨拶
高橋小国山岳会会長の祝辞 祝電披露
渡辺龍吉さんの謝辞 杉原八百樹さんの乾杯
山の会の高橋さんと中条の亀山さん 山の会の加藤さん
藤田栄一さんと三面山岳会の小池さん 会話が弾む
あちこちで交流 渡辺さんと杉原さん
お開きの万歳
素敵な祝賀会でした

2006年01月28日(土)

山に行くつもりであったが、自宅屋根の積雪がひどくなってきたので朝5時から雪下ろしをする。そろそろ雪で自宅が覆われ始めた。
昼から天童市にある山形県青年の家で山形県山岳連盟の理事会にQVHと一緒に出席してきた。
議題@2008年度から国体山岳競技が大きく変更される。現在は縦走とクライミング競技であるが、クライミングとボルダリング競技に変わる。その変更年の東北大会が山形県で行われる。競技施設をどうするか、選手と競技役員はどうするか、真剣な討議が交わされた。
議題A県民登山を岳連構成団体の交流に重きを置くか、一般県民に重きを置くかを競技した。
議題B規約改正が2案出された。
議題C中国チベット自治区にあるヤルラ・シャンポ峰(6,635m)へ、今年の5月上旬に偵察隊派遣、来年4月中旬に登山本隊を派遣することが了承された。
議題D2月25-26日に小国町の梅花皮荘で開催される日本山岳協会主催の「山岳レスキュー講習会積雪期」の受け入れが了承された。この講習会は山形県山岳連盟指導員会の研修会も兼ねることになる。県岳連遭難対策委員長のLFD、指導員会委員長のHZUが中心となって対応することになる。全国の皆さんも是非、参加してください。詳しくは日本山岳協会のホームページに掲載されています。

理事会の様子
粕川理事長が自作したLED懐中電灯を使ったヘッドライト

2006年01月22日(日)

 前回は早すぎたと思い、09:00杉にOTJ宅に行く私の自宅はさほどの雪でなかったのだが、樋倉集落から急に新雪が増えてきた。
 ぽつりぽつりと狩猟仲間が集まってくる。今日は誰々が集まるか、何処へ行くか、お茶を飲みながら会話が始まる。昨日誰かが入った所は論外、一度かます(猟をする)とウサギが敏感になるので暫く放置するらしいのだが、どこそこには何羽のウサギがいて、そのうちの何羽を獲ったから残りは何羽という話になるのだから恐ろしい。正確さはともあれ、猟師は獣を絶滅させないように計算しているという話は本当である。何時誰が何処で猟をしたか、集まった人数で巻ける所は何処か、果てしもなく話が交わされる。そうしてやっと、目的地がまとまった。
 除雪の終点でワカンジキを履き、目的地の沢で勢子と鉄砲に分かれて登り始める。私は鉄砲に回った。交替で急斜面をラッセルして登る。杉林の上でトラバースをすると、先輩からお前はここ、お前はこことひとりひとり指示される。私も自分の場所を指示され、さらに鉄砲を発射する範囲を教えられる。
 先輩は殆ど口を開かず、ようやく聞こえる程度の小さな声で、最小限の単語だけを並べる。私は彼の身振りを見て、彼が言いたいことを察知して頷く。一人になると、ザックを降ろし、両側にいる人間の位置を再確認し、鉄砲を撃つ範囲を頭に入れる。
 やがて勢子の声が聞こえてきた。弾丸を装填する。弾倉に入れた弾を薬室に移す時に大きな金属音が響くので、ゆっくりやると弾が引っ掛かりうまく行かない。練習ではスムーズにできるのに本番では難しい。
 ウサギ出現予想地に向かい、何度か射撃体勢を取り、肩付け頬付けを練習する。勢子の声が近づき私のすぐ下まで来ると、先輩が降りて行って「駄目だ。下った」と話している。下手に持ち場を離れると注意を受けるので、ゆっくりとタイミングをみて集合する。
 先輩達が話すには、ウサギが1羽私の直下まで来ていた。私が射撃姿勢を取るのをみて、てっきり見つけているものだと思っていたとのことである。さらに「あんなに鉄砲を動かしてはウサギが気付く、じっとして動くな」と助言をいただいた。
 結局は私の目がウサギに慣れないため雑木が邪魔になって見つけることができなかったのに対して、ウサギは私に気付いて下に逃げたということなのだろう。またひとつ勉強を重ねた。
 尾根と沢を越えてトラバースし、もう一度杉林を巻いたが成果はなし。どうするか相談の結果、別な沢へ移動することになった。鉄砲を背負い、急なブナ林を直登して尾根上に出ると、風雪が強くなってきた。
 先輩達がウサギの足跡を見つけた。先頭をラッセルする人は何時でも射撃できる体制を取って進む。ある程度登った所から今度は水平に沢の源頭部を横断する。登山であれば何度も雪崩テストを行い、安全性を確かめて慎重に判断するところであるが、皆は全く気にする様子がない。沢の中に入ると深雪になる。耳を澄ますが足元からは弱層が壊れる感触も音もない。安心して渡り終えた。
 登山技術講習会だけでは決して身につくことのない、様々な条件下で先輩から教育を受けた者達だからこそなせるコース選定である。
 大きな尾根に出てブナ林を下る。振り返るとホコ石のピークが見え、対岸には杉林が広がっている。ここも絶好のポイントなのだが、時間と人数が必要だと言う。これまでは杉林は景観を損なう邪魔者という感覚しかなかったが、今では絶好の猟場として、どのように巻くかを考え始めている自分に気付いた。
 今回はこのまま枝尾根を下る。誰も地図は持っていないが何処をどのように行けば何があるのか、全て頭の中に入っているのだ。
 尾根が広くなった所で、横一列に並ぶ。このまま銃を構えて下の杉林の中を降ると言う。何時でも発砲できる状態にして、カンジキで杉林を降るのは難しい。常に両側の人を意識して、早くても駄目、遅くても駄目、一列を守って降ること。銃の筒先を絶対人に向けないこと。声や音を立てないことが要求される。杉林の中は落とし穴が多数仕掛けられている。杉の間から見え隠れする両側の人にペースを合わせながら、何時飛び出すか分からないウサギを狙うのだ。酷く神経を擦り減らす作業である。
 右手で銃声が、1発・2発・3発、結局私はウサギの姿を見ることができないまま車道に降り立った。
 集合して話を聞くと、Aさんがウサギを見つけ発砲した。ウサギが動かなかったので当ったと思い近づいたところ突然横に走った。さらにBさんの弾をかいくぐって逃げ、Cさんに仕留められたとのことであった。
 下山後は、獲れなかった時こそ反省会が大事だと言われ、ウサギの皮を剥ぎ鉈でぶつ切りにして大鍋に入れ、大根と味噌と醤油も入れて、薪ストーブでぐつぐつと煮る。
 運転のある私は両手でウサギの頭(半分に切ってある)にむしゃぶりつき、今回の猟を終えた。

休憩中に柴倉山を仰ぐ
県境尾根上部 ブナ林
ホコ石を見上げる

2006年01月21日(土)

 経塚山から下山して、そのまま橋を渡っておぐに開発総合センター内にある温泉に直行、身体を充分温めて、小国山岳会新年会会場である茶飯美(さはんび)に歩を進めた。時間前からビールで喉を潤し、新年会が始まる頃にはできあがり、新年会途中で寝てしまった。なお茶飯美は雑穀を中心にしたメニューで、お勧めの一軒である。

小国山岳会の新年会
高橋会長の挨拶 待ちに待った乾杯!
頂いた初酒 雑穀メニューの紹介
すっかり出来上がっています 茶飯美のことならAXLに聞いてください
KZM KRSは雑穀を作っています

2006年01月21日(土)

 20日(金)の新年会では偶然にも猟友会員の方が私の両側に座った。これ幸いと話を聞く。興味深かったのは、「シノビ」という兎の猟である。巻き狩りの場合は大勢で行うので、下山後に獲物を肴に酒を飲んで終わりになる。これを嫌って一人で猟を行い、獲物を全て自分の物とするのがシノビというらしい。
 兎はカンジキの雪を踏む音を40-50m先から聞き分ける。そこで猟師を確認し、その行動を観察し一定以上の距離を保つので、足跡を幾ら追い駆けても近づくことはできない。そこで足跡をよく観察し、気付かれないように尾根を越えて、その兎がこれから行くと思われる場所にこっそり先回りをして待っているのだそうだ。
 兎は登る力が強いので下から近づくことはできない。また兎は何かに気付けば上に逃げる習性があると言う。昔は兎に気付かれたら、自分の帽子を枝に引っ掛け、兎が帽子に気を取られている間にこっそり上に回りこむ猟師もいたと言う。
 兎を一人で獲るということは兎の習性を熟知した人にしかできない業なのだ。この日は珍しく中締めと同時に退席し、翌日に備えた。
 21日(土)起床すると幸い昨夜からの降雪量は除雪するほどでない。09:30町中心部の「ゆ〜ゆ」集合と連絡を受けているので、その前に少しでも銃に慣れるため、一人で先日歩いたB沢に行ってみることにした。
 発砲してよいのは日出から日没までと決められている。06:30自宅を出発し、07:00沢口に到着する。ここでワカンジキを履き、ベストに弾丸を入れ、ザックを背負って歩き出す。膝まで潜りながら沢沿いに遡る。雪面が煌めいて美しい。ヤマドリの足跡を探しながらゆっくりと歩く。
 時折歩を止めると静けさと共に山のひそひそ声が聞こえる。やはり歩いているとラッセルの音に微かな会話が聞き取れなくなる。山の気配を探ると言うことは、自分が空気の中に溶け込むことであろう。歩くことによって空気を切り裂いてしまい、結局は自分が異界の存在であると大声で触れながら移動しているのだ。
 銃を構えながら進んでいくとウサギの足跡を幾つか見つけたが、私の実力では無理と素直に諦める。
 先輩方の歩き方を思い出してみる。彼らの歩き方にはメリハリがある。必要度に応じて気配の強弱をつけている。私には何処がポイントなのか分からないので、緊張の糸を張り詰めたまま歩いているので疲れてしまい、大事な場面でミスを犯すのだろう。
 先日の終点に着いたのが08:00、ここから戻ることにする。ヤマドリの足跡すら見つけることはできなかったが、またひとつ課題を見つけることができた満足感に浸ることができた。正面には徳網山に半分ほど陽が差していた。

徳網山の夜明け

2006年01月15日(日)

 今日は小正月、さいず焼きの準備であまり人が集まらない筈であるが、ともあれ集合先のOTJに顔を出す。昨夜はOTJへの取材があり、そのまま泊まった岳人関係者数人いた。私は勝手にストーブで朝食を作る。
 OTJのアドバイスで近くのA沢に入る。今朝までの雨で水分を含んだ雪は、重いが殆ど潜らない。何かの鳴声がするので大木の根元を覗き込んでみると、中で小鳥が遊んでいた。さらに沢沿いに進むと、後方からヤマドリが私を追い越して行った。
 新しい足跡はテンだけで、ウサギやヤマドリの足跡はない。またヤマドリが飛んだ。狙いを定めて引金を引くが、弾は出ない。慌てて安全装置を外してヤマドリの後ろ姿を目掛けて発射。雪橋を渡って姿の消えた杉林を歩いてみるが、姿は見当たらない。そのまま沢を詰め、OTJに言われた二俣の上から帰った。
 OTJ宅でお茶をいただきながら、ゆっくり歩くようにアドバイスを受け、再度一人でB沢に向かう。できるだけゆっくり歩く。新しいウサギの足跡を見つけて、追いかけてみる。標高がどんどん上がっていく。ウサギの足跡が時々途切れている。やがて如何にも雪崩が発生しそうな斜面に出たので沢に下る。
 ヤマドリは、木の根元や雪面に入った亀裂、沢の中などの苔や草を食べているらしい。そのような所から突然飛び立つと言う。一方ウサギは耳が良く、40-50m先の輪カンジキの音を聞きつけていると言う。共に素人が撃てるようなものではないことは分かっているが、何事も体験である。
 これまでうるさい程に銃の取り扱いを教えられている。弾の装填は何とかできるようになった。しかし実弾を入れたまま雪の上を歩くのは危険である。私の銃は自動銃である。弾倉に入れるのは静かにできるが、装填時にかなり大きな金属音がする。どのタイミングで弾倉に詰め、薬室に装填するか、安全装置の解除はどうか。逆にどの時点で弾を抜き取るか、私には分からないことばかりである。
 歩きながら何度も弾の出し入れを練習する。銃の持ち方も、結構疲れる。何時でも動作できるようにしながら、両手で抱えて歩く。雪橋を渡る時、崩壊しないだろうか、木の根の落とし穴に騙されないだろうか。注意すべき事項が多すぎる。しかし、ほんのくだらないミスが大事故に繋がりかねないのだ。ただ山を駆け巡るのとは全く違う。
 沢が極端に狭くなった所で、対岸の急斜面にいるヤマドリを発見する。撃てる!静かに装填し安全装置を解除し、狙いすまして発射!ところがヤマドリはピクリともしない。慌てて第2弾を発射する。途端にヤマドリは飛び去った。
 弾道を確認するため、雪面に向かって数発打ち込んでみる。結構正確である。やはり緊張しすぎで、きっちりと頬付けができていなかったのだろう。
 B沢から戻り、今度は既に3人が入っている山にOTJと2人で入る。OTJの指示に従って初めて勢子をやることになった。大声を発しながら杉林の端を登っていく。ウサギが上に走っていった跡があった。数発の銃声が聞こえた。
 残念ながら誰もウサギをしとめてはいなかった。私が杉林の端を登ったため、ウサギは私の左の尾根を越えて逃げたとのこと。杉林から外れて尾根上を登れば、逃がすことはなかったらしい。地形とウサギの習性を知らなかったための失敗であった。
 その後、5人で3回ほど巻いたが、ウサギは全く出てこなかった。巻いた場所は全て杉林であった。ウサギ撃ちはウサギの食害を防ぐ目的であることが推測できた。
 沢沿いに下る、狙いはヤマドリであるが、今日のヤマドリは杉に止まっているらしい。最後にあの沢を下って来いと言われ、杉林の中の沢を一人で下ると、ヤマドリの足跡がある。緊張してゆっくり下ると、突然5-6m先からヤマドリが飛び出した。慌てて引金を引くが構えもなしで当るわけがない。
 結局今日は全員収穫なしで下山。それでも私には貴重な体験であった。とにかく山登りと狩猟は全く違う、鉄砲を抱え、全身の感覚を研ぎ澄まし、ゆっくりと移動し、瞬時にして正確に判断して弾を放つのだ。さほど距離は歩いていないのだが、充分に疲れた。
 帰宅後、残った弾数を数え、濡れた銃を乾かしてガンロッカーに収納しようとして、銃をチェックしたところ、弾倉から1発の銃弾が出てきた。思わず背筋が凍りついた。かなり確認をしていたつもりであったが、結果的には重大なミスである。
 今回の猟は、沢山のことを教えてくれた。無事故が当たり前、ひとつひとつの体験を積み重ね、銃が分身になるまで使いこなして行かなくてはなるまい。

2006年01月13日飯豊連峰 定点観察

2006年01月07日(土)

 今日が初猟である。何を持っていけば分からないので、思いつくまま車に放り込み、OTJ宅に行く。素晴らしい好天で徳網山が輝いている。ここから歩いて集合場所の公民館へ行くが、なかなか皆集まらない。葬式があったりして参加者は少ないようだ。
 お客様が来るから昼まで帰ってくるように言われ、出発。鉄砲はひたすら山を登る。手頃なところで、此処にいるように指示される。50m位の間隔で鉄砲が待ち構える。
 吹雪になってきたので、カッパを着、銃を持ったまま立ち続ける。両側の人間には決して銃を向けないように、自分の打つ範囲を何度も確認する。出かける時に「雪を撃て」と助言を受けた。確かに雪を撃てば、水平撃ちにならない。
 私の自動銃には3発まで入る筈であるが、1発しか入らない。そういえば、試験では全て上下2連銃を使った。射撃場では連射をせずに1発ずつしか撃っていない。連射のセットするのはこれが始めてなのだ。
 安全装置もどちらがロックなのか分からない。空撃ちをして引き金を引く寸前に押せば良いと確認する。強引に2発を詰めたら、レバーに食い込んで外れない。何とか取り出し、連発は諦め、1発勝負に覚悟を決めた(この間、何度も金属音を立てていたので下山後に先輩からお叱りをいただきました)。
 勢子の声が聞こえ始めと同時に、一匹のウサギが杉林から飛び出して立ち止まった。完全に私の射程距離である。まだ何処からも銃声がしていない。勝手に撃ってよいのだろうかと躊躇していると、私の優柔不断に脇からウサギを目掛けて発砲された。ウサギが逃げ始めたので、すかさず私も発砲!ウサギはそのまま杉の陰に姿を消した。
 当ったかどうか確認に行って良いのか迷ったが、現在地にじっとしていることにした。そのうち、あちらこちらから銃声が聞こえてくる。左脇からウサギが走ってきた。今度はよく狙って引金を引いた。また、当らない。雪面を見るとウサギのトレースと弾痕は重なっている。ウサギの速度に合わせて銃を動かすという基本的な技術を失念していたのだ。
 結局、私は収穫なしだったが、全員の獲物を集めると最近にない豊猟とのことである。和気藹々と下山した。
 この後、私は見よう身真似で道具を使わない素手による皮剥きを体験。さらにナイフによる解体を経て、丸太にウサギを乗せ、鉈だけで薪のように骨ごと断片化していく作業を見学した。
 大鍋に断片化したウサギを入れ、味噌と醤油だけで味付けてひたすら煮る。最後は別に煮ていた大根を加えて、大根に味が染み込めば完成である。
 お客様を迎えて、山親方の指揮で山ノ神様に手を合わせる。空腹な私はウサギ汁を待ちきれず熊汁に手を出す。これが熱い!熊の油が表面に浮かんでいるので冷めないのだ。
 ひたすら食べ、ひたすら飲み、先輩方にいろんなことを教わり、そのままOTJの家に寝袋を持ち込んで沈没した。

2006年01月01日(日) 年頭に当たって

 私(HZU)は昨年狩猟免許を取得した。小国町猟友会に属し、今年から狩猟を開始する。この年齢になって何故狩猟を始めるのか?動物を殺戮することに違和感はないのか?自然に対する冒涜ではないのか?様々に感じられる方がいることと思う。
 これらの問いかけに対して私は幾つかの回答を準備している。しかし私の舌足らずの文章では逆に誤解を与えることを危惧する。答えは、これからの私の行動で徐々に報告していきたいと思う。
 私が子供の頃、飼っていた兎や鶏を潰して食べることはありふれたことであった。隣家で瓶の中に塩漬けにされていた犬の肉をご馳走になった記憶も残っている。元来、私は弱虫であり、動物の解体に耐えられるだろうかという不安はある。また動物の生命を絶つという恐怖もある。私がイメージする狩猟はロイヤルハンティングではない。自分で殺し、解体し、料理して食べることである。
 登山は自分が定めたルートをひたすら歩くことである。山菜・茸採りは目指す植物達の生育する場所に行き採取することである。狩猟とは目指す動物の習性を学び追い駆け、殺すことである。3者は同じ山をフィールドとしても、辿るコースも歩き方も異なるものがある。狩猟技術は私の山岳観に何をもたらしてくれるのだろうか。
 狩猟をストレートにホームページで公開することはできないと思う。その意味では遭難救助作業に似ている。どの程度に抑えるべきか、試行する中で定まってくると思う。

白鷹町から大朝日岳と小朝日岳
川西町から夕焼けの飯豊山

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