「スピードはあっても時間のかかる乗り物」ってなーんだ?





 いきなり出てきた、上のちょっとヘンな「なぞなぞ」の答えはなんでしょう?
 みなさんで考えながら読んでいきましょう。ヒントは下の「長ーい旅」です。


地下鉄駅入口。
ここからスタート!
長ーい階段をトコトコ下りて
降りた先の廊下も長ーくって

改札通って また下りて ふーっ、着いた。
着いた駅でもまた「運動」だ・・・
(仙台地下鉄南北線・北四番丁駅で撮影)


 上の写真をご覧下さい。仙台地下鉄南北線の地下駅です。普段から乗っている人には良く見慣れた景色で別に違和感は感じないと思います。仙台に来たことのある方や他の都市の地下鉄に乗ったことのある方は、似たような光景を目にされたことがあると思います。
 入口から深く降りて行く階段、長いコンコース、改札して更に降りて行く階段。これら長い道のりを経てはじめて電車に乗ることができます。
 「なんだ。何当たり前なこと、くどくど言ってんだ?」という方もいらっしゃるかと思います。ところが、普段は気が付かないと思いますが、電車に乗るまでのこの「駅の深さ(高さ)・歩く長さ」というのは、想像以上に「人を拒む壁」なのです。

 (左)全国どこにでもある歩道橋。上の地下鉄駅に比べたら歩く距離などずっと少なくてラクなのに、使う人はまばら。近くの横断歩道を渡るケースが多いが中には歩道橋の下をダッシュ! という人も。
 利用頻度の悪い歩道橋は全国で少なくない。人間は、高低差のあるところを通るのを避けようとする心理があるのだ。高低差の「浅い」歩道橋でさえ避けられるのだから、地下鉄の駅はもっと「嫌がられる」のでは?


 上の写真は、普段見慣れたどこにであるタイプの歩道橋です。高さは4m強、健康な大人だったら10数秒で登り切ってしまう、地下鉄駅で歩く手間に比べたら「手間のかからない」高さです。ところが、この「手間のかからない」歩道橋の利用状況はどうでしょう。考えてみることにします。
 この歩道橋の近くには小学校があり、そこの児童の皆さんは行儀良くこの橋を渡って行きます。それに対し、私を含めた大人がこの橋を渡っているのを見るのは、かなりまれです。ほとんどの人は、付近の横断歩道を渡りますが、ちょっとお行儀の悪い人は橋を渡らずに橋の下をダッシュ!
 皆さんも身に覚えはありませんか? え?「あなたはどうだ」ですって?
 いや、あの、その・・・ はい、私も反省します。まあ皆さん、少なくとも純真な児童の皆さんの前ではやめましょう。教育上良くありませんから・・・

 あ、違った。みなさん、そんな危ないマネはどっちみちやめましょう。あなたも私も「交通安全」第一!!!

 話がそれたので元に戻しますと、ここで言いたかったことは、このような「比較的低い段差」でさえ行くのをためらう、高低差のあるところはなるべく避けて行こうとする人間の心理が働きやすい、ということです。
 「比較的段差の低い」歩道橋でさえこうですから、更にずっと深く(高く)て長く歩かなければならない地下鉄への「足の向かいにくさ」は、ご想像いただけるでしょう。
 この「心理的要素」が乗るべき「客」を逃がしている面は否定できないのではないでしょうか。私は地下鉄沿線に住むひとりなのですが、実際、疲れたときなどは地下鉄のホームまで降りず、入口のすぐとなりにあるバス停から、バスに乗って帰ってしまうことが少なくありません。
 似たような経験のある方は少なくないのではないでしょうか。
 今までは心理的な「壁」を述べましたが、この「乗り降りの不便さ」は移動時間にも影響します。
 下の図をご覧下さい。路上公共交通(バス、路面電車など)と地下鉄の比較図です。地下鉄は、A駅からB駅まで仮に5分かかったとしましょう。仙台地下鉄南北線では、中心部では大体3駅分ぐらいの距離です。
 それに対し、バスは仮に2倍の10分、路面電車はレール上のクルマの走行を禁止しているので、もっと早く8分でA駅からB駅に着けるとしましょう。


 3人の人が、それぞれバス、路面電車、地下鉄に分乗してA駅「入口」を同時に出発する。目的地はB駅「入口」。
 それぞれの人がかかった時間
  路面電車:8分   バス:10分   純粋に乗車時間だけかかることとなる。
 それに対して、地下鉄を使った人がかかった時間は
  A駅階段を下る時間2分半+電車乗車時間5分+B駅階段を上る時間3分
                                  =10分半+疲れ ←オマケ
  (A駅ホームでの待ち合わせ時間は無視)

 地下鉄は、「スピード」は確かにあるが、結局A駅入口からB駅入口まで一番時間がかかったのはだれ・・・?
 


 ちなみに私たちの目的地は、駅の「出入り口」です。ホームそのものが目的地ではなく、駅外の色々な施設だからです。この項の例に挙げた駅では、私の足で駅入口から地下ホームまで2分半、逆にホームから駅出口まで3分かかるとします。
 バスや路面電車では、A駅「入口」からB駅「入口」に行くのにかかる時間はA駅B駅間の所要時間そのままです。つまり、バスでは10分、路面電車では8分ということになります。
 一方地下鉄ではどうでしょう。A駅入口に立ってからホームに降りるまで2.5分、A駅「ホーム」を発車してB駅「ホーム」につくのに5分、そこから目的のB駅入口に上がるのに3分、合計で10.5分ということになります。
 こうしてみると、地下鉄は乗り降りに時間がかかるため、せっかく「ホームとホームの間」は早く移動できても、結局「出発地点と目的地点」の間は、一見速度の遅いバスや路面電車よりも時間がかかってしまうことになります。
 この傾向は、駅間の距離が短くなるほど、また駅での乗り降りに時間がかかるほど強くなります。上の「なぞなぞ」の答えは、もうお分かりでしょう。
 地下鉄が「最も便利な交通機関」として支持されるためには、東京のようにクルマで動くことが極端に不便で、事実上実用にならない状況であることが最低必要条件でしょう。
 ところが仙台市のような中〜大都市の場合はどうでしょうか? 東京と違って、クルマの方が地下鉄より「足が向きやすい」場合が多いのは、「利用者」の偽らざる心理でしょう。
 ということは、地下鉄は、仙台市のように「クルマよりずっと便利だ」と「利用者」が思わない状況では、多くの場合「ハンデ」だけが目立ってしまうことでしょう。
 つまり、カネをかけて建設して乗り降りに苦労する割に時間はあまり短縮しない、と言える非効率なモノなのではないでしょうか。
 新幹線のような長距離鉄道と違い、「東西線」のような短距離鉄道の場合は、いくら電車が速くても、乗り降りに時間や手間がかかってでも「クルマよりずっと便利」という状況でなければ、真の「高速性」や「快適性」は達成できず、クルマから「客」を奪還することはできないのです。

 皆さんには、ここをお分かり頂きたいのです。

 中には「健康のために歩けると考えればいいじゃないか」という声があるかも知れませんが、クルマ・鉄道・自転車などこれらの乗り物はもともと、遠くへ行く時に移動時間を縮めて苦労を少しでも軽減するために発明されたモノ。歩く苦労が絶えなくて時間がかかるのでは本末転倒・・・
 我々健常な人間ですら、ほとんどの地下鉄の駅は立派な「歩行トレーニングセンター」。ましてや、体のご不自由な方やご高齢の方はもっと辛いでしょう。エレベータがあったって、一カ所しかないですからそこまで遠回りしなければならないし、ほとんどの駅では2回乗り換えないとホームにたどり着けません。
 また上の写真の通りコンコースの移動距離も長いので、これらの方にとってはさしずめ「移動リハビリセンター」でしょうか。乗り降りにさんざん苦労するのでは、いくら「エレベーターがある」と言っても、とても「バリアフリー」とは言えないでしょう。
 地下鉄の大きなハンデの一つというのは、この「乗り降りの大変さ」です。
 乗り降りだけでこれだけ長い距離を歩かせる「地下鉄」がもう一本できるとすれば、実際に車椅子や杖をついて移動されている方はどうお思いでしょうか。そんな方々の気持ちは、一般健常者の方は「骨身にしみて」までは分かりません。
 一度でもいい。市の「東西線」計画者の方には、今の地下鉄駅内の移動を車椅子で体験していただきたい。感想は「やっぱり地下鉄はラクで便利でバリアフリーな乗り物だ!」と太鼓判を押されるだろうか?・・・



←もどる 目次へ つぎへ→