2014GWfor大分



2014年のGWも主な目的は温泉巡りですが、温泉の取材に関しては「山ちゃんの温泉紀行」に徐々に掲載する予定です。4月28日
庄内空港をAM7:00発の一便で出発、羽田乗り換えで大分に向かいました。



大分空港は小雨模様でしたが、大雨をもたらした低気圧が通り過ぎた後なので、後は回復するだけです。東北からわざわざ晴れ男がやって来た
のですから、必ずお天気は崩れないです(^O^)



最初に立ち寄った観光地は血の池地獄です。血の池地獄とは、奈良時代に編纂された書『豊後国風土記』に"赤湯泉"の名で記された、
1300年以上前から存在する日本最古の天然地獄です。その希少性が認められ、平成21年に国の名勝に指定されました。



血の池地獄を一言で表すと「赤い熱泥の池」と言え、昔からこの赤い熱泥で皮膚病薬(現在の血ノ池軟膏)をつくったり、布や家の柱などの染色を行っていました。



この大藤の老木は樹齢250年だそうです。老いても花を咲かせるこの藤に元気を頂いた私です。



次に別府温泉へ向かいましたが、大きな町全体から湯煙が立ち上っている光景に、温泉大好き山ちゃんは興奮気味です。(^_^)v
別府といえば「温泉」、この別府温泉を訪ね宿泊する人の数は、年間400万人を超えます。また、全国には2,000有余を数える温泉地があり、
年間1億人を超える多くの人が温泉を楽しんでいます。私たちが、ふだん気軽に利用している温泉は、泉質や効能もさまざまです。なかでも
別府は数多くの温泉が湧出していることでは日本一の温泉です。



別府湾一帯から、九重・阿蘇を経て島原半島を含む広大な地域は、地盤が沈む地溝帯で、この地溝を中心に約3万年前に活性化した
火山活動は地熱温泉活動をもたらしました。この火山活動により別府の地形には、二つの大きな断層が生じています。この断層と鶴見岳や
ガラン岳の火山活動が影響しあい、地下のマグマからの熱が噴出した高温高圧の「熱水だまり」が地下数千メートルの所にできます。地下に
浸透した雨水は、マグマの熱で温められた「熱水だまり」にふれ、再び地表に噴き出す途中、さまざまな成分を取り込み、温泉水となります。



次に明礬温泉にある天然の科学工場「湯の花小屋」を見に行きました。礬温泉地区は相当な地熱地帯で、地下30cmあたりにはもう温泉脈があり、地表
から勢いよく温泉ガスの蒸気が噴出しています。ここに約50棟立つわら葺き屋根の小屋、これが湯の花を江戸時代よりつくり続ける湯の花小屋なのです。



世界唯一のこの小屋方式から生まれる明礬温泉地区ならではの湯の花は、他生産の硫黄華とは根本的に品質が異なり、
小屋方式のこの製法も世界ではここだけです。



本当に恐るべしマグマのエネルギーを感じます。次は塚原地獄へGO



標高1045mの活火山・伽藍岳(がらんだけ)中腹に、もくもくと白煙を上げる塚原地獄、遊歩道を2、3分上っていくと、硫黄の臭いとゴーッという
音が聞こえる。 以前は噴気帯で形成される地獄と思われていたが、 1995年にパワーショベルで作業中に一部が陥没し熱泥が噴出し、現在では
火口を形成している。 周りの山肌からも沢山の噴気が上がっていて、山肌は山地獄、火口は坊主地獄の様に見えます。 以前は山頂付近に珪石の
鉱山があったそうです。 この塚原地獄・塚原温泉のある位置は、別府明礬温泉の反対側に当たります。



次はある目的があって湯布院へ



湯布院町は、大分県のほぼ中央に位置し、大分郡に属していた町である。町内に3ヶ所の温泉地がある町として町名は有名であった。 2005年10月1日に
郡内の挾間町、庄内町と合併し、由布市となり自治体としては消滅した。現在「湯布院町」という地名は、旧町域にある大字の頭に付く形で残っている。




私の目的は湯布院駅で、こちらのホームに週に一度お目当ての列車が停車するのです。



日本初の豪華観光寝台列車、JR九州の「ななつ星in九州



欧州のオリエント急行を参考に新造された客室7両と機関車からなる豪華列車。1編成に新幹線並みの30億円をかけた。JR九州のデザイン
顧問である工業デザイナーの水戸岡鋭治氏が構想を練り、古代漆をイメージしたワインレッドの車両は木材をふんだんに使って温かみと
重量感を出した。シャワー室にはヒノキが張られ、客室の洗面鉢には佐賀・有田焼の人間国宝、14代酒井田柿右衛門の遺作が用いられている。
ダイニングカーではバイオリンやピアノの生演奏もあり、すし職人が目の前で腕を振るう。



JR九州は「ななつ星」を「大人の空間」と位置付けているため、小学生以下の乗車は不可で、ジーンズ、サンダルも禁止。個室にテレビは設置されていない。



次は日本一の吊り橋を見に!



大分県の九重町にある「九重“夢”大吊橋」がおすすめです。長さ390m、高さ173mで、歩行者専用の橋としては日本一。橋の上からは、
「日本の滝百選」にも選ばれた「振動の滝」をはじめ、美しい紅葉で有名な「九酔渓」など雄大な景色が楽しめます。



2006年の秋、大分県九重(ここのえ)町に1本の吊り橋が誕生しました。その橋の名前は「九重"夢"大吊橋」。人が渡る吊り橋としては、
2007年秋現在、日本一の高さと長さを誇る吊り橋です。



九州を代表するドライブルート「やまなみハイウェイ」からも近いというロケーションの良さと、橋を取り巻く絶景の素晴らしさが評判です。



今回の旅は温泉巡りで、別府温泉、湯布院温泉を散策し、一寸足を伸ばして熊本県の黒川温泉迄巡ってきました。



素晴らしいの一言ですね(^O^)






2013GWfor鹿児島



2013年4月25日庄内→羽田→鹿児島とANAを乗り継いで、お昼前鹿児島に着きました。駅近くで予約していたレンタカー(オリックス)から
車を借りましたら!なんと!未だ800kmしか乗られていない新車(カローラ)でした。(^_^)vナビも新しく快適なドライブのスタートです。

 

今回も山ちゃんの旅は温泉巡りが主なので、観光箇所は温泉地に近い所に限られています。先ずは霧島神社にお参りして!



鹿児島と云うと西郷隆盛の史跡が沢山あると思いきや、坂本龍馬の足跡が沢山ありました。

 

坂本龍馬が妻お龍を連れて日本最初の新婚旅行に訪れた地が霧島だそうです。その際、最も長く逗留した場所が塩浸し温泉で、激動の
幕末期に龍馬が最愛の妻お龍とかけがえのない時間をこの地で過ごしました。



記録によると、坂本龍馬は1866年(慶応2年)寺田屋事件で受けた刀傷を癒すため妻お龍と共に薩摩を訪れ、塩浸温泉で湯治をしながら
霧島を満喫しました。「3月17日(旧暦)この日より塩浸温泉で11泊し手傷の治療をす。この間月日は特定出来ないが、和気清麻呂公史跡
に立ち寄る。史跡と云っても齋彬公お手植えの松があっただけ。しかし犬飼滝と渓谷を見下ろし、右手に桜島、左手に高千穂峰を望める
この場所は絶景であった。龍馬は「塩浸温泉は、この世の外かと思われ候ほどめずらしき所なり。谷川の流れにて魚を釣り、短筒で
鳥を撃つ。誠におもしろかし(姉乙女に宛てた手紙)と記されている。





鹿児島のもう一つの顔は、なんと言っても焼酎でしょうね〜何処へ行ってもものすごい種類のお酒がありました。
鹿児島では、今日、唐芋焼酎が一般的です。17世紀の初めに沖縄から唐芋焼酎が伝わってきたのを境に、唐芋焼酎が作られ始めたと
考えられています。鹿児島のシラス台地という唐芋栽培に適した土地柄もあって、急速に唐芋焼酎作りが広まったようです。実際に、
唐芋焼酎を本格的に作り始めたのは、18世紀初頭、前田利右衛門という人が、琉球から唐芋の苗を山川に伝えた以降の事だと言われています。
要するに、庶民の酒である焼酎作りの原材料に高価な米を使う事は、勿体なかったというのが、唐芋焼酎になった原因のようです。


 

東北はこの時期桜が満開なのに、鹿児島に来たら野山は新緑がまぶしく、草原はお花畑に色とりどりの花が咲いていました。



それと一面の茶畑!お茶と云えば静岡県しか思い浮かばなかったのですが(^_^;)



薩摩半島の枕崎に向かっていたら正面に開聞岳が見えてきました。
薩摩半島の最南端にそびえる開聞岳は1,000mを切る頂にもかかわらず日本百名山にも選ばれた山です。円錐形の古い火山で大隅半島の
南端にそびえる端正な姿は薩摩富士とも呼ばれ、何時も多くのハイカーが訪れる山です。




枕崎から指宿に向かう途中に開聞岳があり、指宿から鹿児島市に向かうと今度は桜島が次第に大きく見えてきます。晴れていたのですが
モヤが掛かり霞んでいて写真には良く写りません。それでも肉眼で右端山頂近くで時々小噴火があるのが見えました。風が薩摩半島側
から大隅半島の方に強く吹いていて噴煙も高く上がらず肉眼で少し見えるだけでした。

 

南薩地方は、古から海外の文化を受け止めてきた、世界に向けて開かれた窓そのものでした。薩摩には伝えたい歴史がありその重いから
2008年2月11日、薩摩伝承館は開館致しました。館内には約3000点のコレクションが展示されています。



楽しいGWの旅の時間はあっと云う間に過ぎてしまいました。鹿児島有り難う!!