安全靴と青木の歩み   

昭和20年前後
板裏草履や地下足袋が一般的な作業靴であった。
足先部の負傷は大変多く、その防止にと爪掛式板裏草履が考えられ、鉄鋼・造船各社で使用された。
昭和26年10月頃
青木産業且ミ長青木健之助と金沢氏との考案により、作成された帆布製板裏底の安全靴が日本最初の安全靴である。
※第2次世界大戦後、物資は欠乏し皮革・ゴム等全て統制下にあったので、米軍の払下品の帆布等を使用した。
昭和26年11月21日
(安全靴の元祖)帆布製安全靴−ゴム底は、自動車タイヤを10mm程度にすき、製法は七分製法(釘打)です。
先芯=軟鋼で40kg程度の強度です。
昭和27年2月頃
統制の逐次撤廃と共に豚革製安全靴がつくられた。
(ゴム底はタイヤゴム)
製法=七分製法(釘打製法) アリアンズ製法
昭和29年2月
青木安全靴製作所設立
牛革製安全靴が製造されだした。
製法=九分製法(手縫製法) グッドイヤーウェルト製法
先芯=鋼製先芯(SK7)となる。
ゴム底=耐油性ゴムが出来た。
昭和31年
VP製法の研究開発
従来の製法では剥離強度に難点があるので、直接加硫圧着方式の研究を始め、その試作第一号の製品が出来た。
安全靴の日本工業規格が最初に制定されたのが昭和32年9月18日(S5028)であります。
昭和59年3月
軽量・耐久に優れた発泡ポリウレタンの特性を生かし、安全靴業界で最初にインジェクション成型機を導入し、発泡ポリウレタン2層構造表底の安全靴を販売開始。
昭和60年3月
日本で最初にスニーカータイプ安全靴を考案し、販売する。
当初より高い評価を得て安全靴の新たな標準品として認められた。
昭和63年3月
スニーカータイプ安全靴の需要が年々増加し、生産供給能力向上の為、新たに2号機を導入した。
その後、作業ロボット導入により24時間稼働を目指し、より供給体制を強化した。
平成4年10月
自社ブランド”ATENEO”を確立。
平成8年4月
アクアグリップソールのPUラバー底インパクト70シリーズを発売。
平成9年11月
世界初の技術であるDRFテクノロジーを確立し、作業現場を選ばない安全靴としてインパクト100シリーズを発売。


以後産業界の発展と共に品質・種類も豊富になり、今日に至っております。


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