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19981121/タブレット直描きとか
結構WWW上で見かけるこの説明「タブレット直描きで描きました」これって言い訳なのか、自慢なのか・・・ともかく、私はあまり良い気持ちでこれを読むことはない。
これは他の場合にもあてはまることなのだが、絵は製作過程が大変だったから優れているのではないだろう。「すごいですね」とはいってもらえても、それは絵に対する評価ではない。腕の無い人が絵を描くことは凄くても、その絵自体に対する評価はまた別の問題である。
ツールが貧弱なのを嘆くと同時に自慢する人もいるが、これもまた変な話だ。フォトショップが高いといってもせいぜい10万円程度、アカデミックパックを使えばもっと安くなる。大学生以上の人間が、本当に必要と思って他のことを切りつめれば出せない金額ではない。出来上がった絵の言い訳をするなら(それも嫌だが)まだしも、そこにツールを持ち出してくるのは悲しい。

さて、タブレットの話にもどるが、私が思う限りではタブレットで直接デスクトップに描くのはそう大変なことではないし、別に特筆することでもないように思う。要するに自分の描きたい絵を描く際に、それが有利だと思えば、タブレットだろうが鉛筆だろうが違いはない。どういう意図があってタブレット直描きを用いるのか説明しているならまだしも、ただ「タブレット直描きで描きました」といわれても、私には意図するところがよくわからない。本当に自慢してるのか?それなら分かるが。 と、今日は前から疑問に思っていたことを書いた。

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リクエスト絵の対応が遅れてすいません。捕らえられて首枷をつけられて搾乳されている美女ですが・・・美女?うーん、私の絵で美女と呼べるものって見直してみたんですがなさそう(苦笑)顔は申し訳ありませんが、これでご容赦ください。ちなみに下の管はリクエストのコメントよりのアイディアで、暖かい空気を膣に送りこんで乳の出をよくするためのものです(笑)
19981116/たまには休養も大切か・・・
私にはテーブルトークという知ってる人はしっているであろう、オタクな趣味がある。要するに夢想家達のためのごっこあそび(ゲーム)なのだが、なかなか脚を洗えずにいる(苦笑)それでも絵を本格的に描くようになってからはそのプレイ時間も10分の1以下に減った。
ここ1年程というもの、絵を描いている時以外の時間が浪費に思えてならないことが多かった。理屈ではそんなことはないと分かっていても、心情的にもう少し練習すればもう少し前に進めるのではないかという思いが、常に私を苛んでいた。そして自然とゲームの時間は減っていった。
しかし、1日思いきり遊んで、絵のことを忘れてゲームしていたら(キャラの落書きくらいはしていたけど)、その後の絵を描くときの集中力が全然違っていた。線を描くときの迷いが驚くほど少なかったので自分でも結構驚いた。
今回のゲームは絵のことを忘れるくらい楽しかったのが、そういう良い結果に結びついてくれたのだろう。毎回そううまくいくとは限らないが、一月に一度くらいはそういう日を作ってもいいのかもしれない。コミケが終わったら少し考えてみるとしよう。。。

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遅れてすいません。先週分のリクエストの「非ちぬ娘の尿道いじめ」です。なんか前の絵とは対のような感じになってしまいましたが。。。ランドセルっていいアイテムですね・・・
19981114/描き手の性体験と猥褻画の関連性
エロ絵描きには大きく2つの種類の人間がいる。それは童貞のエロ絵描きと非童貞のエロ絵描きである。などというとまた物議をかもしそうであるが(苦笑)
「絵は経験を写すもの」という私の考えからいけば、後者の方が優れているといいたいのだろうと思われるかもしれないが、実はそうではない。いや、そう思っていた部分はあったことは確かだが、近頃私が体験ではなく「想像」をもとに猥褻画を描くようになってから、その持論に疑問がわいてきた。
童貞の人たちは経験していないが故の妄想を持っている。夢想と言い換えてもいいだろう。しかし、この夢想は時として経験以上の重要性を猥褻画についてもっているのではないかと思う。所詮現実を知ってしまった人間には、本当の夢など語りえないのではないか?
私が童貞だった時代、自慰行為の際に大変お世話になったあるエロ漫画家がいた。その人のエロ描写は非常にリアルだった。少なくとも当時はそう思っていた。しかしある経緯から当時彼は童貞だったことを知り、結構ショックを受けた。今みると確かにリアルじゃない。ただ当時の私の想像の世界にはしっくりきていた。つまり嘘を通して「真実以上の真実」を私に伝えてくれていたわけだ。
結局のところ私が考えるのは、童貞の人は童貞の人の夢をこわさない絵を描ける場合が多いのではないかということだ。これは性体験のない人間が購買層として多数を占めると思われる美少女エロ漫画、ゲーム、アニメ業界などでは大きなイニシアチブなのかもしれない。そういうところ向けに描く際には経験者も経験のなかった頃の自分を思い出しながら、その自分を傷つけないように描くのが望ましい(苦笑)。
また敵をつくりそうな文を書いてしまったが、正直なところを言えば、「風俗だろうがなんだろうが、一回くらい女触っておくといいかもね」ということなんだけどね。変な劣等感なくなると思われるのだが、自分手いっておきながらこれは余計なお世話だな(苦笑)

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少し前から巷では、ヨーヨーがブームになってるらしいです。こんな方法でプレゼントして上げるのも一興かもしれません。 この子の性別は御想像におまかせします・・・ってちんちんついてる子に注釈をつけなければいけないのですね、このサイトでは(苦笑)
19981112/肛門性交について
現在風俗ではアナルといえばアナルファックOKということらしい。昔はアナルを舐めてくれるサービスを指していたような気がするのだが、それだけアナルファックを受け入れる御姉様方が増えたという事なのか、それともアナルファック自体がより公然化してきたということなのか。
私としてはアナルファックを描く事は実は殆どない。男性と女性の絡みでは描こうと思った事さえなかった。理由は簡単なことで「痛そう」だからである。
実際の性生活でもアナルファックの経験が私にはない。考えてみるとこのサイトではちゃんとした男性と女性の絡みを描いたものはほとんどないのだが(苦笑)、別の場所で男女の絡みを描くときはほとんどが実体験の切り売りみたいになる。そのあたりが男女の絡みでアナルファックが描けない原因になっているのかもしれない。
しかしながら、ふたなり同士のからみでは、どうもこういった「実体験の切り売り」という束縛から自分の想像力が解き放たれるらしく、アナルファックにしてもあまり抵抗無く「ああ、この子も気持ち良いのだろうな」と思いながら想像して描ける。
そう考えると、前に書いたことのある「絵に関する経験論」みたいなものにも疑問が生じてくる。アナルファックを描きながらこんな自分の絵に関する根本理論をぐらつかせられるとは(苦笑)、なかなか興味深い。
今回のコミケ向けに今漫画のコンテを切っているが、アナルファックは別の穴が自然に空くという点でも、猥褻画にたいするバリエーションを広げるのに大きな意味を持つように感じている。漫画でこの題材を描くのは始めてなので、描きおわったときにはまた、アナルファックの可能性について書かせてもらおうと思う。

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リクエストより。お姉様どうし母乳を吸いつ吸われつですが・・・結構汁気として乳はいい素材なのかもしれないと思いました。今度汁気に考察しようと考えていたことの参考になりそう。お姉様って・・・固定化してそうでしてないのでちょっと苦労しました。
19981110/スランプについて
スランプという言葉を絵に使う事を私はずっと避けてきていた。なぜなら私は「スランプ」という言葉を使えるレベルに達していないと自分で思っているからである。しかし、近頃、別にレベルに関係なく「スランプ」は存在するのかなと思ったりする事が多くなった。
ところでスランプとはいったい何か?これは人によって実に多義に使われている事が多いように思う。結論としては「思うように絵が描けないこと」のようだが、そこに至る過程は千差万別である。ある人は「描く気がおきない」という精神的なものだというし、別の人は「技術的な壁につきあたった」と物理的な理由をあげてくる。
幸いにして私はここ1年こういった思いはなかった。あれこれ考えこむ前に描くようにしていたし(描きながらいろいろと考えることはままあったが)、技術的に壁にあたるにはあまりにも幼稚な絵を描いていたからだ。
しかしながら、こうやってサイトを開き、私の絵を見たいと思って来て下さる方に絵を披露するようになって、多少事情が変わってきた。その期待にできたら応えたいという欲求がでてきたからだ。これはつまり、前より酷いものを描いて失望させたくない、という思いである。
だが、そうは簡単に事は運ばないものである。そして、私も「これが長く続くとスランプというのかな?」という精神状態を味わうことになった。筆を取る気がしなくなるのだ。幸い1時間もすればおさまるので今のところそんなに困る事はないのだが、これが長く続くとという恐怖心はある。そういう感じを知れただけでもこういうサイトを開いた甲斐があったかもしれない、などと考えたりもする。
とにかく私としては「スランプ」と言う言葉を逃げ口上に使わないようにこれからも心がけていくつもりだ。この言葉はどうも自分の絵に対する言い訳として使えてしまう便利な言葉のような気がするからだ。なればこそ、自分の中では「スランプ」としての認識あろうとも、他の人からの評価に対しその言葉に逃げ込むのではなく、それを真摯に受け止めたいと思うのである。
「絵を言葉で取り繕うのはやめよう」結局ここに落ち着くのかもしれない。

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パイずり自恥濡舐めは、描いてて楽しいシチュエーションです。
19981109/潮をふくとき
過去に私は一般に潮ふきと呼ばれている女性と、1人だけつきあったことがある。
思い返せば、私の付き合った女性はどちらかといえば愛液の量が少なめの女性が多かったような気がする。逆に考えれば、私の性技が下手なためそれで濡れてくれる女性が少なかっただけかもしれないが(苦笑)
私はその女性と多数回交渉をもったわけではなかったが、最初の時はベッドの中央が文字どおりずぶぬれ状態になってしまった。恥ずかしがってシーツを洗って帰ってくれたのはいいが、下まで染みてしまったのはどうしようもない。以降一週間床での就寝をよぎなくされた。
それに懲りた私は今度は彼女の部屋でクンニに興じていた。陰核の方を定石通りに舌先で攻めると彼女は、震える声で絞り出すように「いっちゃううう、いっちゃううう」とつぶやいた。「いいよ」とこたえて、行為を続けると、やがて「ぷしゅ!」と顎のところに水が勢い良く吹き付けた。「?」と思って口をはなして膣口をみると、2回、3回と飛沫が飛び出してくる。その時になって始めて「おお、これが潮ふきというものか」と気付いた。
結局彼女とはそれ以降関係を持つ事はなくなってしまったが(私ってふられてばっか(笑))、あのとき目の当たりにした光景は結構印象に残っていて、今も私の絵に時々影響を与える事がある。女体の神秘っぽい光景ではあった(苦笑)

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リクエストより、「恥濡をふまれていっちゃう〜」を描いてみました。ついでに、ケモノぼてです、もしぼて好きじゃなかったら申し訳ないです。あと恥濡かなりでかいですね(苦笑)その方が踏ませ甲斐があったので・・・
19981108/ふたなりの娘たちを愛するわけ
このところふたなりの娘たちを描きながら思った事がある。それは私がぼて腹を愛するのとはまた違った点で、この異形の娘たちを愛しているらしいということだ。
前にも書いたとおり、私はぼて娘に対し、幼女によくみられるお腹のぷっくりしたでっぱりの、誇大化したものとしてとらえ、それに愛しさを感じているようだ。しかし、ふたなり娘の場合、そういった直接的な視覚イメージから、私の愛しさに直結しているわけではないようなのだ。
つまり、直接的刺激ではなく、間接的情緒刺激によるところが大きい。その一つ目は、自分が持っている器官ということでそれに移入し、そこに対し与えられる刺激をより具体的に想像できるというもの。これは前に書いた日記に詳しい。
そして、今回思ったのは、ふたなり娘同士のからみを描いていてその2人の対等な関係についてであった。男と女の関係ではどうしても、入れる>入れられるという関係ができてしまう。受け手、攻め手の関係をフレキシブルに変えられるのは非常に面白い。SEX描写だけでなく、キャラクター描写を深めるのにも非常に有効だろう。
ならば同性愛ものでもいいではないかという話もあるが、基本的には私のふたなりからみはレズものなのだろうとは思う。少なくとも私の描いているふたなり娘たちの精神の入れ物にはいっているのは、女性の魂だし、だから「男の子を好きになってしまう」のが基本である。(たとえ玉娘であってもだ)
しかしながら、ことエロに絞ったとき、同性愛ものでは私的にインパクトが薄いような気がしていた。やることがかなり限られてきてしまって、私としては興味がそがれてしまう。やはり「本番」という行為はエロにとって必須と考えているので、それを、お互いに行えるふたなり同士のからみというのは私にとって非常に魅力がある。
結論として、私はぼて娘に直接イメージの愛着を感じているのに対し、ふたなりには「沢山の可能性を持つ題材」として愛着を持っているのだと思う。実際ふたなりは様々なシチュエーションに対応でき、しかも「ぼて」や「アナルファック」「ダブルフェラ」などなんでも取り込んで行ける柔軟性をもっている。この分野の発展に大いに期待したい(笑)

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睾丸をお口に含んでころころっての気持ち良いんですよね。その歓びを知った記念日ってところでしょうか(笑)
19981107/ラフの功罪
近頃このサイトに上げる絵を描くときも絡みのものはラフを描く事が多くなった、その方が後々時間が節約できることが多いからだが、それにしても困るのが「ラフの方ができがいい」ときである。
特にあえいでいる表情が曲者で、ラフに思わず細かく描き込んでしまって、なかなか良い表情が描けたりしたときはかなり困ってしまう。いくら描いても、肝心の本番の方でその表情が出なくなってしまうのだ。そういう時はかなり「ハマリ」な状況に落ち込んでしまう(苦笑)それこそラフを描いた事によって時間が長引いてしまうのだから、本末転倒もいいところだ。
これは漫画を描いているときのコンテにもあてはまることだったりする。コンテの出来がいいと自分で思うときは、大抵本原稿の時間が長くなってしまう傾向がある。そういうこともあってなるべくコンテには描き込みすぎないようにしているのだが、なかなか上手くいっていないのが実状だ。
前に自分が描いた作品よりはいいものを描いてみたいというのは誰でも思うであろう事。しかし、ラフなどは理屈ではなく筆を滑らせている事が多く、偶然自分の力以上のものが描けてしまう事もある。それを越えるものを描こうとしたとき、これはなかなか辛いものがある。
今日の話に特に結論はないのだが、みなさんはラフやコンテを描くときにこういう思いをしたことはないだろうか?

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BBSからネタをちょっといただきました。981030_01.jpgに比べると大分古都(ショートの娘)の方がおでこを出してます。それと古都はそんなにぺたぺたではないです。それはさやか(手前の娘)にまかせるとしましょう(笑)大きい娘は・・・相変わらずですね(苦笑)
19981106/絵を描くきっかけなど。。。
私が本格的に絵を描き始めたのは大学の後半期からである。一応漫画研究会に属してはいたが、絵は全然描かずに、経理や同人誌の編集ばかりしている事務部員だった。それはそれなりに楽しかったのだが、今思うとあの時絵をもっと描いていればなあと、悔やまれる。
そんな私が絵を描くことになったきっかけは、大学の必修であった小学校への教育実習であった。子供たちと交流を深めるため、何かいい方法はないかと考えた私は、そのころ流行していたアニメキャラクターを子どもたちに描いてあげることにした。(何故そんなことを考えたのか、いまとなっては忘れてしまったが)
稚拙な絵だったが子どもたちは喜んでくれ、目的を達することができた。実習期間中、忙しい合間をぬってはアニメキャラを描く練習をしたのを思い出す。
何にしても4年前のこの出来事がそれが私の絵を描く事のきっかけになった。それが今、私の人生に大きなウェイトを落としているのだから、不思議といえば不思議である。
絵を描くという行為が私にとって、他の人間に歓んでもらうための手段としてはじまったのはこうした経緯によるものである。この姿勢はあまり今となってもかわっていない。しかしながら、これが絵を描く人間としての考え方としてどのようなものかという疑問も存在している。やはり絵は自分を満足させるために描くべきなのではないだろうか。この疑問は私がこれから絵を描く上でずっと付きまとっていく疑問といえよう。
なんにしても、子どもの歓ぶ顔が見たくて絵を描き始めた人間が、いつのまにやら猥褻画を描き続けている(苦笑)そこにいたる過程にはどのようなことがあったのか。2年前手にしたPainterというツールがその後の私の猥褻お絵描きに至る道に大きな影響をあたえることになったのだが、そのことにはまた後日ふれたいと思う。

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リクエストより飲尿マルチですけど・・・特にコメントはないです(溜息)。もうちょっと過激なの期待してた方には申し訳なし・・・
19981105/絵を描かない人たちの言葉
世には2通りの人間がいる。即ち「絵を描く人」と「絵を描かない人」である、といったら乱暴であろうが、こと絵の評価ということに関してこの2者の違いは重要であるように思われる。
私たち絵描きは、どうしても絵を描かない人の意見を軽視しがちである。自分の絵を、「描かない人に」酷評されようものなら「そういうなら自分で描いてみろ!」という気になってしまいがちだ。だが、私は「絵を描かない人たち」の評価を重要視したい。
絵を描く人間は多かれ少なかれ、絵の事を「学んで」しまっている。だから、絵の評価も「デッサンがきれい」「配色がいい」「パースがとれている」など技術的な言葉がでてきてしまうことが多い。それは裏返せば、「自分の知識をひけらかしたい」というオタク的な知識披露欲から出てきているこことが多い、といったら意地が悪すぎるだろうか?これはもちろん絵描きのはしくれたる私にもあてはまることとして書いている。それはともかく、絵を学んでしまった人間は自分の印象に、技術論的な客観的評価を盛り込んでしまうことは否定できないだろう。
それに対して、絵を描かない人たちの評価は、主観的な、そしてより直感的な観点から行われる事が多い。これは絵の知識に冒されていない人の、無垢な意見として非常に重要かと思われる。彼らは多くの場合余計な知識がないため、見たままを述べる事が多い。例えばパースを勉強していれば正しい構図も、見た目がおかしければ、その旨を述べてくることがある。その時描き手側は「それは、正しいやり方で描いてるんだ。何も知らないくせに」という気持ちをぐっと抑える必要があるだろう。間違いなく彼らには「そう見えている」のだから、そのことの意味を考えるのが重要である。
技術的に正しい事と、真実に見える事には大きな隔たりがあるのではないか?そして絵を描くにしたがって純粋な「真実らしさ(≠真実)」を見つめる目が、時として薄れてしまうのを感じる事が私はある。そういう時に冷水を浴びせ掛けてくれるのが、非常に優れた絵描きさんの言葉ではなく、絵など描いた事もない人の印象だったりするのは皮肉な話かもしれないが、事実である。その目を失わない人も沢山いるのであろうが、そういうのを才能というのかもしれない。
猥褻に話を持っていけなかった。残念。

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たまにはこんなのもいいかと思って・・・
え,駄目ですか?(苦笑)

19981104/私が愛したおしっ娘
前に少し触れたが、私が付き合っていた女性の中に一人「いきそうになるとおしっこしたくなっちゃう」病にかかってしまった娘がいた。彼女の名誉の為にいっておけば、これは決して彼女特有の症状ではなく、ある肉体的な病気に罹ったときに多数の人に見られる症状であるらしかったことが後に分かる。
しかしながら、一緒に住みはじめて1年足らずの男女にとって、それはかなりきつい経験であった。SEXしていて、彼女が耐え切れずにトイレに駆け込むことがしばしばだった。それならばいっそ放尿プレイに走ればいいという方もいるかもしれないが、そこはそれ、ぢだま某さんの「聖なる行水」のようにうまく事は運ばないのが現実である。
彼女は私が飲尿したことのある唯一の女性であるが、その経験がよっぽど彼女の羞恥心を呼びおこしたらしく、おしっこプレイには彼女は同意してくれなかった。でも関係も100回を越え毎回絶頂を迎えられるようになると、女性の方がやりたい盛りを迎えてくるので、2人にとっては拷問のような日々が続くことになる。
結局産婦人科で彼女はある肉体的な病気(性病ではない)にかかってることがわかり、薬事的療法でめでたく回復することができた。世に多数いると思われる、このような症状からおしっこプレイを楽しんでいるカップルには是非診断を受ける事をお勧めしたい。病気が治った後でも、プレイを続ける事は可能なのだから(笑)
結局彼女に振られる形で結末を迎える事になった。大学卒業まで結婚のけの字も出さなかった私に愛想がつきたらしい。4年もつきあって指輪の一個もあげなかったのだから今考えるとひどい事をしたものだと思う。彼女と付き合っている頃はまったく絵を描くなど思いもよらなかった私だが、今になって猥褻な絵を描く度に彼女との肉欲の日々を思い出している。なんとも不思議な感慨と共に彼女の未来に幸多からんことを願うのみだ。

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かけっ娘、噴射しまくった後の一駒。かなり趣味に走った絵です。個人的にはかなり勃ちました。ただ、汚いイメージを持つ人もいるかもしれませんね。ただ私日記にも描くことがあるかもしれませんが、エロってどろどろして汚いものだと思います。このあたりとかく趣向の問題ですね。こすりあわせる恥濡の感じが気に入ってます。
19981103/いかに騙すか。いかに伝えるか。
近頃絵を描きながらおもうことは、もしかして絵を描くって見る相手を「ペテンにかける」ことなのじゃないか、ということだ。と、いうと言葉が悪いが、要するに我々絵描きは真実を描いているわけではない。なぜならそんなものは描けないからだ。精密画の極致として写真を捉えたときも、そこに写っているものには嘘が含まれている。そもそも、われわれの目に写っているものが真実という保証さえないのだから、当然であるが。
形而上まで話がそれてしまうので、現実は存在すると仮定して話を進めることにする(苦笑)ここで重要になるのは、私たちが絵を通して伝えたいもの(私の場合は「猥褻さ」だが)、その伝えたいものには真なるものが存在しているようにおもう。
前にデフォルメのところでも述べたが、その伝えたいものの為に私はたくさんの嘘をついているそれは自覚的に意識的に行うよう心がけているつもりだ。それは絵に説得力を与えるためのものである。しかし、デフォルメのところでも述べたように、この嘘を言い訳にしてはならないと思う。もし、他の人に自分の絵が変にみえたなら、それは嘘の部分だからといってごまかすのはおかしい。それは嘘をつきとおせなかった、自分に非があるからだ。
なんだか、説得力の話をしたときと似たような展開になってしまった。申し訳ない。だが、このことは重要なことだと思う。我々は絵という嘘で塗り固められたもので、真実を伝えようとしている。
一見ひどい矛盾に満ちているようにみえるこの2つの命題から、わたしは一つのある考えに到達する。要するに我々がキャンパスの上に描き出そうとしているものは、ある種の「真実以上の真実」であるということができまいか?ということである。

読み返してみても、まとまっていないな。このことについてはまたいずれ、角度を変えて書かせていただくことになるだろう。

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またもLS系ですが、どうもこのネタにはまってしまったようです。それと母娘ネタはほのぼの系に走れるので、私のホームフィールドで描けるのがやりやすいのかもしれません。
リクエストよりろり尿道、アヌス、膣口同時責め・・・のはずだったのですが・・・尿道に指ってどういう感じで入るのか、女性器では想像がつきかね、くちゅくちゅいじってる程度になってしまいました。ちなみにこの子は981030_01.jpgの二人の子どもです。この数年後が981102_01.jpgになる訳で・・・大きい娘の方、円(まどか)はこのとき髪を切ってます。このあたりのからみは冬コミ個人本漫画のネタにしようかなと思っています。円がさやかの妹を身ごもってるときの話も描いてみたいな。。。これはぼてものですけども。
19981102/そして中へ・・・
膣中、その正当な場所に射精の先を求めるとき、その意味は自ずから特別な意味をもってくる。
膣中で射精された事を漫画的に表すために、様々な方法が試みられてきた。基本的には見えないはずの精液を模擬的にみせてしまう方法が代表的だ。漫画において「どぴゅ」といえば、射精の事を示すくらい、その擬音は一般化しているし、「あ、あついい」と女性が叫べば、精液が膣中に流れ出していることがわかる。
ただそうした技巧的なものはさておき、膣中射精の重要な点は「責め手と受け手の一体性」にあるのではあるまいか。「一つになる」とは古来使われているSEXの隠語だが、まさにこの心である。私は膣内射精シーンを描くときにはこれをもっとも大事にしている。このシチュエーションは特に先の日記で述べた「感情移入型」の読み手に特に有効であろうと考えられる。
「あ、赤ちゃん、できちゃう!」というシュチュエーションは見過ごす事が出来ないであろう。これは射精が本来懐妊を目的としていた現実を呼び起こしてくれる(苦笑)という意味で非現実的なシチュエーションに冷水を浴びせ掛けるのに有効だ。これはどちらかというと、先の日記に言うところの「状況移入型」の読み手の官能をくすぐるのに有効であろうと考えられる。
結論をいえば、私は今まで述べた三つの射精を意識して上手く使い分けることを目標としている。これはこれからの日記でも述べる「エロ漫画におけるストーリー構築」にも大きく関わってくる事があるので、そちらで詳述したい。
余談だが個人的には正常位膣中出しが一番好きかもしれない。一番身体の密着面積が広くなるからだろう。そんな時背中に爪をたててくれるとなお感じる。全部察してそうしてくれる女がいたけど、そういうレベルにお互いの身体を知るのは結構大変なもの。別れてしまったのが、いまさらながらおしまれる。。。4桁身体あわせたのはさすがに彼女1人だったし

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リクエストより縛り中学生・・・挑戦してはみましたが、女子中学生です。縛りっていうと縄でもっとぐりぐり縛れということなんでしょうかね。とりあえず、リクエストには自分のイメージで受けとらせていただいているのであしからず。。。

19981102/中か、外か、それが問題だ・・・(その2)
て、口内発射と膣内発射について、比較検討しよう。
内発射の最大の利点は、男性の憧れを刺激するということがあげられる。つまり、SEXをした事のある人間に比べて、フェラチオをしてもらったことのある男性の方が少ないであろう。アヌスを舐めてもらったことのある男性はさらに少ないだろうが、これは蛇足である。つまり、口でしてもらうというのは男にとって一種のプライドを呼び覚ます。この女を征服したという感覚である。実際にはそんなことは全くないのだが(苦笑)
案外オーラルセックスなんて、当たり前のことだと思っていたのだが、ところがどっこい、結構嫌がってしてくれない彼女をもつやつが回りにも多数いる事を最近知って、愕然としたものだ。私は偉そうに言ってるわりに、関係をもったことのある女性は両手の指で数えられるのだが、その中でもオーラルセックスを拒んだのは1人、大抵は最初の関係でしてくれたものだ。
ころで、猥褻画における構図的な口内発射の有用性は、小さなキャンパス(もしくは漫画のコマ)にでも、男根、そして、女性の顔という二つのものを収めやすいことが上げられよう。これは膣内射精では極端なアングルを想定しないと使えない構図である。

それと口は(当たり前だが)飲むという行動が出来る事も重要だろう。これは非常に官能をくすぐると私は思う。飲む>苦しそうに>飲み込む>(にっこりほほえんで、口の端からとろり←オプション)、あるいは「飲む>苦しそうに>吐き出す」、という一瞬の選択肢のスリルさえそこには存在する。エロ漫画には欠かすことのできない、見せ場といえよう。
内射精は男根と女性の顔のせめぎあう場面である。ただ出すのではない、女性の不安と期待のいりまじった心情、喉に流れ込む精液、それを必死に飲み干す女性のけなげさ、そしてとろけ出る残滓・・・考えるべき要素を沢山含むすばらしい題材といえよう。
日は膣内射精の話。いわば正式な法定射精場所ともいえる膣。そこに果たして勝ち目はあるのだろうか?

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母娘です、そのイメージで描きました。上の娘が必死にむさぼりつこうとしてるのが気に入ってまする。にしてもこの角度で、こんな胸の娘がいたら(上の娘)かなりの巨乳に違いない。


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