旅日記・関東巡礼2006・秋

★UP DATE 2006.12.15






















(靴音) カッ、カッ、カッ、カッ、カッ。


2006年10月3日、酒田市民会館「希望ホール」にて、

バーデン市立歌劇場公演による。「Mr.W.A.モーツァルト」のオペラ「フィガロの結婚」鑑賞。





カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、


2006年11月04日、山形県民会館にて「めざましクラシックス」にて、

「あんたのバラード」をはじめとする「Mr.世良公則」の演奏を鑑賞。





カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、


2006年11月28日・30日、東京ドームにて

「Mr.ビリー・ジョエル TOUR 2006」鑑賞!!





カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カ・・・・ズリッ。






2006年、今年は「巡礼の年だ!!!」





2006年11月28日(火曜日) 東京滞在初日。06:00起床

決まりのポーズで改札口を抜けて、酒田駅から東京駅に向かうため、特急「いなほ6号」に拙者は乗り込んだ。東京への旅は1999年9月以来7年ぶりの旅だった。今回の旅の目的は、今から30年前、それは突然!!! ラジオから流れてきたあの「口笛」を聴くための旅だ・・・・・。

                           

時折小雨が降る鉛色の空の下、特急「いなほ6号」は08:52、定刻通り酒田駅を出発した。
しばらく走ると2005年12月25日「いなほ14号」が脱線事故を起こした「羽越本線最上川第二鉄橋」を通過し、小さく黙祷した。
荒れ狂う日本海を窓の外に眺めながら順調に、列車は新潟駅に到着した。乗り継ぎ時間が8分しかなかったため、慌しく、上越新幹線「とき322号」に乗り込んだ。
新潟駅を出発するやいないや、車内販売で「越後もち豚・味噌焼きロース重」の駅弁を購入し、食べた。
激しい雨の中、新幹線は東京へ向かい、長岡駅を出発したらすぐに、2004年10月の「新潟県中越地震」の夥しい数の被災者住宅が目に入り、小さく黙祷した。
長い長い山脈のトンネルを抜けると、去年鑑賞した映画「リンダ・リンダ・リンダ」と、NHK朝のテレビ小説「ファイト」のロケ地の高崎市。その後大宮・上野に停車し、13時20分、東京駅に到着した。

7年ぶりの東京の風は、ドヨドヨと、事成らず、様々なものが蠢いている。爽やかではない、夜明け前の匂いがした。中央線に乗り換え、東京ドームと、今回の宿のある水道橋駅へと向かった。
水道橋駅西口に降り立つと、風水的に良くない地相で、駅の北側の川は、大阪の道頓堀川より汚い水が流れていた。ドヨドヨとした街並みが広がり、ある風水師が語っていたことだが、「東京の地脈は破壊されている」という言葉を思い出し、実感した。
しかし、悪いことばかりでなく、宿に着くまでの間にティシュペーパーの袋を五つも貰った。(旅の間助かった) 宿には予定より一時間早く到着し、宿の方々の厚意により、予定より一時間早くチェックインできた。感謝!
窓を開けると某大学の経済学部のキャンパスがあり、賑やかで活気に溢れている感じがした。しばらくの休憩後、いよいよ東京ドームへと向かった。

東京ドームは、阪神ファンである拙者にとっては、「敵地」である。しかも子供のころ親に洗脳されて巨人ファンだった時期もあったので、デビルマンのように「裏切り者だ!!!」 したがって今回は地獄?(東京ドーム)に、仏?(ビリー・ジョエル殿)を拝みに行く、複雑な感覚だ。
水道橋駅東口の交差点を越えて、15:00敵地へ侵入。建設工事中のテーマパークの向こうには噴水があり、クリスマス・イルミネーションの準備作業が行われていた。様々なショッピングモールとタワーホテルの間を抜け、階段を登ると、目の前に東京ドームが見えてきた。
開演までまだ4時間もあったので、ドームの周りを歩いた。東京に来るたびに感じるのだが、大阪に比べると「緑」が多い。もうすでに、ドーム周辺の樹々も紅葉が盛りだった。夜になるとライトアップされて色とりどりの光が、この季節ドームを包み込んだ。
一通りドーム周辺を散策したあと、「ラクーア」でウインドショッピングをしたが、根性を出して欲しいと感じるものはなかった。

                           

ドーム内にある和風レストラン「花道」で「カツ鍋定食」を喰らっていると、「ビリー・ジョエル通」の方ほど「ギョッ!!!」としていた。その時拙者は、彼のアルバム・グラスハウスの裏ジャケットのコスプレ?でドームの周辺を闊歩していたから・・・・・。入り口の席だったので、どうしても入って来る客に、拙者がメシを食っているところを見られてしまう。こっちもあまりいい気分ではなかったので、店に客が入って来るたび「メンチ」を切り、戸惑うその表情を見ているのが楽しかった(笑)。

夕食終了後、外に出るとドームの入り口の向かい側のテントで、ツアーグッズの販売が開始されており、パンフレット・帽子・Tシャツなどなど、もちろん2003年のザ・ローリング・ストーンズの大阪ドームコンサートの時のように、無差別に買い漁った。

18:00開場。40番ゲートから入場し、会場を見て少しガッカリした。今年の夏、チケットの発売が開始されるとすぐに、ネットで注文したのに、取られた席は二階席の一番前で、ステージ上のビリー殿は、大きめの双眼鏡を使わなければ見えないほど遠かった。アリーナ席・一階席は恐らくファンクラブの常連さんと、業界関係者などに出回ったものだなと、直感した。しかし、角度がある分、ステージ全体が見渡せて、一階席の奥の方よりはマシだなと思い席に着いた。

開演が近づくにつれ、開場には人が徐々に集まり始め、いい加減な気持ちで来ていた隣の席の野郎の酒と料理の悪臭に、怒りを感じた!ある一部の方々が感じているタバコの臭いのように。

19:00開演。開場が暗くなり、今までアトランダムに流されていた洋楽のポップスから、曲名が不明のトランペットを中心としたオープニング・テーマのクラシックミュージックが流れてきた。

                           

突如、眩いシルバーライトがステージから客席に向けて発射され、その影の中に「ビリー・ジョエル殿」がいた。

オープニングナンバーは、「怒れる若者(Angry young man)」、

機関銃のように弾き出される彼のピアノ音に皆、身体を打ち抜かれ、アリーナ席は初っ端から総立ち状態だった。しかし、拙者の居た二階席ではまだ一部の方々しか立っておらず。拙者の周りの奴等に至っては、日本のジャズ喫茶の客のようにのめり込み、誰も立つ気配がなかった。もしこれが大阪ドームやったら全員総立ちなのに・・・・・

「てめえら、スカしてんじゃねーよ!!(東京弁?笑)」と、ツッコミを入れたくなった。

2曲目は「ベートーベンの交響曲第九番第四楽章・抜粋(L・V・Beethoven Symphonie No.9・Extraction)」をピアノソロで弾き。

3曲目の「マイ・ライフ(My life)」へと移った。このころから地鳴りのような低い声での大合唱が聴こえ始め、拙者も歌った。

4曲目「マイアミ2017(Maiami2017)」、

5曲目の「オネスティ(Honesty)」で、ライトがブルーに変わり、地鳴りのような大合唱が、震度を増した。

曲が終わった後、二階席の右側から「BILLY--------!!!」と、声をかけた奴がいて、Billy殿もそれに、「なんだい!!!(英語)」応えたが、そいつはそれに応えられなかった。

もし、拙者だったらボケてもかまわないから「I LOVE YOU−−−−−−!!!」と、応えた(笑)。

6曲目「エンターティナー(The Entertaner)」、

7曲目「ザンジバル(Zanzibar)」の時、今まで向こうを向いていたピアノがこっちを向き、

演奏終了後にトランペットのカール・フィッチャー殿(Mr.Carl Fischer)が紹介された。

今回のツアーメンバーは、

ギター=トミー・ブレンズ殿(Mr.Tommy Byrnes)、

サックス・バッキング・ボーカル=マーク・リベラ殿(Mr.Mark Rivera)、

ドラムス=チャック・バーギー殿(Mr.Chuck Burgi)、

ベース=アンディ・サイチョン殿(Mr.Andy Cichon)、

サックス・キーボード=デイブ・ローゼンサール殿(Mr.Dave Rosenthal)、

パーカッション・サックス・コーラスが紅一点=クリスタル・トリフェーロ殿(Ms.Crystal Taliefero)が紹介された。

8曲目「ニューヨークへの思い(New York state of my mind)」、

9曲目「アレン・タウン(Allen Town)」、

10曲目「ドンド・アスク・ミー・ワイ(Don't ask me why)」、

11曲目、拙者を音楽の世界に導いた口笛のある「ストレンジャー(The Stranger)」。

全てが夢見るように流れた〜〜〜。

12曲目「素顔のままで(Just the way you are)、

13曲目「不明(?)」、

14曲目「イノセントマン(An Innocent man)」、

15曲目「キーピング・トゥ・ザフェイス(Keeping to the face)」、

16曲目「シーズ・オールウェイズ・ウーマン(She's always women )」、大合唱・最大震度!!

17曲目「愛はEXTREMES (I go to extremes)」、

18曲目「ザ・リバー・オフ・ザ・ドリームス(The river of the doreams)」、

19曲目「曲名不明のメタルナンバー(ビリー殿はギター、ヴォーカルはジェイソン?殿)」

20曲目「ハートにファイアー(We didn't start the FIRE)」が鳴り出すと、我慢の限界で、もう拙者の周りの、気取った野郎どもに、もう同調する必要はないな」と判断し、

龍笛を包むため持っていた「アメリカ国旗のバンダナ」を出して、立ち上がり振った。

21曲目の「ビッグ・ショット(Big shot)」からは、メモ帳に挟んでいた「七色の光を放つ・ライトペン」をオリハルコンの短剣(海のトリトン)のように抜き放ち、指揮者のように振り始めた。

22曲目「ロックンロールが最高さ(It's still Rock'n roll to me)」では、細かく光の色を変えながらライトペンを前後に振り、

ラストナンバーの23曲目「ガラスのニューヨーク(You may be right)」では、「ペン先を引っ込めて」ペンの底についている紐を持って、強力な青い光を放つようにセットし、振り回した。もうこのあたりになると、「HIGH」な状態になっていた。曲が終わるとビリー殿は、細かい動きで焦らしながら、ゆっくりとバックステージへと下がって行った。

場内は再び暗くなり、観客のアンコールを求める拍手と声、暫くすると再び明るくなり、ビリー殿とツアーメンバーが登場した。

アンコール1曲目通算で24曲目は「イタリアンレストランで(Scenes from an ITALIAN restaurant)」、

25曲目は間奏という感じで、「さくらさくら」のピアノソロ。

そして、26曲目本当のラストナンバーは「ピアノマン(Piano man)」

ドームの大合唱も少しずれている奴もいたが、絶好調。

所々、ビリー殿の歌声に合わせ、拙者のようにライトペンを振り回している奴らもかなりいた。

ARIGATO−−−−−−−−ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー−−−−!!!、
SAYONARA−−−−−−−−ーーーーーーーーーーーーーーーーー−−−−−−−−−!!!!!

夢見るようにコンサート初日は終了した。いつものように、コンサート終了後客席に留まり、余韻を楽しんだ後、外に出ると、ドーム周辺のクリスマス・イルミネーションが開始されていて、「ちょうどいい時期に東京に来たな」と思い、ゆっくりと眺めながら、宿に戻った。

                           







11月29日(水曜日)、東京滞在2日目。FREE DAY!!! 09:00起床。

どうやら昨晩、クリスマス・イルミネーションを眺めながら、コートも着ないで夜の街をプラプラ歩いていたら、風邪をひいてしまった。地下鉄・後楽園駅ビルの薬局で風邪薬とノド飴を購入。FESTA CAFEでベーグル・ランチで軽く朝食。
その後水道橋から総武線で秋葉原へ行ったが、楽器などの目的とするものは何もなく、2時間プラプラして再び水道橋に戻った。

                            

マクドナルドで昼食後、ラクーアの噴水の前でボーッとオーロラビジョンを観ていたら、ここにいたのでは、ある目的が果たされないことに気づいた。再び水道橋駅から中央線に乗り、東京駅で山手線に乗り換え、新橋駅でユリカモメに乗り換え、お台場に向かった。

目指すは、「大江戸温泉物語」。東京に行ったら、是非、行きたいと思っていた場所のひとつです。

テレコムセンター駅でユリカモメを降りるとあたりはすでに暗く、東京のどまんなか?で「田舎に泊まろう」状態。少し北に歩いてゆくと、ようやく「大江戸温泉物語」の建物が見えてきた。

                            

夜の営業時間の開場は6時で、暫く柵のある畳の間で待たされて、開場後入場料金2千円を支払い、赤い浴衣に赤い帯(カブキ者)を借りて緋村抜刀斎?(るろうに剣心)のコスプレになるようにした。

ロッカールームで浴衣に着替えた後、江戸の町をモチーフにしたアミューズメントコーナーを抜け、浴場に向かった。
浴場の脱衣所を抜けると、左に仕切られた洗い場、アカスリ・サウナ・水風呂・露天風呂への入り口があり、中央に少し高い場所にある屋台風呂・その両脇に岩風呂がありそれぞれ泉質が異なっていた。奥に大浴場と寝湯・白湯がありひとつ10分ぐらいづつ楽しんだあと、いつものように湯べりに腰を掛け、ピッコロ(ドラゴンボール)のように「禅」を組んだ。
また身体が冷えてきたなと感じたところで、もう一度大浴場に入湯し、身体を洗って再び浴衣に着替え、コーヒー牛乳を飲んだ後、アミューズメントコーナーに向かった。

そこには様々な江戸情緒溢れる装飾品・玩具・お菓子などの御土産物屋と、射的・手裏剣投げなどのゲームコーナー、蕎麦・饂飩などの麺類・丼類・和風バイキング・甘味処の食堂があり。一通り見て回ったあと、笊蕎麦と和風バニラアイスを食べた。
暫くの間場内に留まり、人間観察をした後、ユリカモメからレインボーブリッジと、東京の夜景を楽しみ、水道橋の宿に戻った。

                           






11月30日(木曜日)東京滞在三日目、08:00起床。

朝の身支度後、水道橋に来てから気になっていた武道具店をウインドショッピングした後、時間がありすぎたので、地下鉄・後楽園駅から新宿に向かい、新宿から山手線に乗り換え、11:00原宿駅に降り立った。
目の前に吉野家があったので、まだ少し早いと感じたが、お昼になると混むと思い、牛焼肉丼(辛口)を食べた。

                           

その後、竹下通りをプラプラ歩き、パンクス・ロリータ・ジャニーズ・ハロプロなどなどの文化と流行を吸収した。
「平日の昼なので、若者はおらんやろ」と、思っていたが、修学旅行の学生、学校をサボっている奴、行ってない奴、などなどかなりいた。
しかし、ここでも根性出して欲しいと思うものはなかったので、再び原宿駅前から南へ坂を上り、明治神宮前に出た。
その南の代々木体育館では「世界バレー」が開催中で、たくさんの黄色い幟と看板が立っていた。
そんな風景を眼下に眺めながら、神南へ歩いていると、短い間に落葉したものと思われる乾いた落ち葉が、絨毯の様に歩道に敷き詰めたれていた。人っ子一人居らず、思わずどこかから「オフコース」の「さよなら」が聴こえてきそうだった。

しかし、目の前にあったものは、違っていた・・・・・。

路肩に黒いバスが二台停車していてバスの側面には「U218」と染め抜かれ、バスの後ろには、アイルランドのロックバンド「U2」のメンバーの集合写真がプリントされていた。

そう、恐らくそのバスの中には、U2のメンバーが乗車していたものと思われます。

彼らもビリー・ジョエル殿、エリック・クランプトン殿らと共に来日中で、その晩、さいたまスーパーアリーナでのコンサートがありました。
バスからは誰も出てくる気配もなく、その時拙者は、ビリー・ジョエル殿のツアーグッズの帽子を被っていたいたので、声をかけるのをやめてクールに通行人を気取った。
実は、U2の音楽も、「Where the street is no name」「New years day」などなど、拙者のベースの弾き語りのナンバーで、たまにギターでストリートで演奏させていただいています。

声かければよかったかな????? 

でも、彼らもあれから渋谷の街でのプロモーションと撮影の仕事前だったので、あれでよかったのかもしれない。

その日東京で、ケルト人の血は共鳴した。様々な意味で・・・・・。

その後、いつもFMラジオなどを聴かせていただいているNHK前を通過し、クロサワ楽器で様々なギターを試奏後、タワーレコード渋谷店に向かった。
入り口のガラスのショーケースの中に、映画「NANA2」の撮影で中島美嘉殿が着用していたフライト・ジャケットが展示されていて、その小ささに驚いた。

東京滞在中聴いていたNHK・FMの「私の名盤コレクション」で、SHOW-YAのボーカルの寺田恵子殿がゲストで来ていた高橋瞳殿と会話していたことだが、

「優秀なボーカリストは、背が低い人が多い」と、語っていました。

確かに、拙者の知っている範囲でも「個人差はありますが」、背の高い人で、歌の上手い人は少ない。中途半端に背が高いと、身体の隅々まで「気」が回らず、喉や心肺機能のコントロールが雑になるんでしょうね。
そして、背の低い方々は、自分を大きく見せるために、デカイ声を出すことが必要な時もあります。それがある「ZONE」を超えた時、不思議な力が神から与えられることが多々あります。恐竜が滅びたように、旧タイプの人間はその力を恐れています・・・・・。話は脱線しましたが、これをUPしたらNANA2、観に行きます。
タワーレコード渋谷店ではある方のCDを一枚買いました。何を買ったかは、秘密です。

渋谷のセンター街へ向かう途中、先ほど遭遇した「U218」の二台のバスが渋谷駅前に登場した。こんな写真の撮り方だったら著作権法上問題ないでしょ。MANAが満ちたら彼らのコンサートにも行きたい。

                             

渋谷センター街に到着すると「ビビリまくった!!!」日本の隣の「何処ぞの国」のようにセンター街は、

「浜崎あゆみ殿」だらけ!!! 

SHIBUYA109の看板から、アーケードの電柱まで浜崎あゆみ殿のポスターが貼りまくられ、どのアングルで撮影しても、金太郎飴のように浜崎あゆみ殿の顔が入ってしまいます。街中どこにいても、あゆ殿の歌声が聴こえていました。どうせならということで、109の看板をバックに写真を撮影させていただきました。

                             

センター街にいる間、アメリカの1ドル札のピラミッドの上の眼に監視されているように、ソワソワしました。

渋谷を後にして、山手線を新宿に向かい中央線に乗り換え、水道橋に到着した。到着後再びラクーアの店内を散策し、そういえば高いところから写真を撮っていなかったので、観覧車に乗り込み、写真を撮りまくった。

                             

ちょうど夕暮れ時で、携帯のカメラでなく、ホテルに置いて来たゴッツイカメラで撮影したらもっといい絵がとれたのだが、残念。
その日の夕食は。「パワーをつけなアカン」と思っていたので、花道の隣のラーメン屋で、食物連鎖ピラミッドの頂点?高嶋ちさ子殿並みの肉食怪獣に変身して、ニンニクたっぷりのチャーシュメンと餃子の大盛りにしました!

夕食終了後、ビリー・ジョエル殿のコンサート会場へ、いざ出陣!!! もうこれで最後なので、東京ドーム内の観られる所は全て観て周り、席に着いた。
今回の席は28日の席とはさほど離れておらず、すぐ後ろが通路の前から10番目で、すぐ隣が階段だった。

また拙者の隣には、28日と似たようなスカした野郎が座ったので、

今度は初めからハロプロ・コンサートのツワモノどものようにペンライトを点滅させて、アメリカ国旗のバンダナを準備して、

「ワシは騒ぐどーーーーー!!!」と、

無言で周りにアピールしたら、即座に、マークの警備員が拙者の隣に付いた。

19:00開演。開場が暗くなり、コンサート初日の28日と同じく、今までアトランダムに流されていた洋楽のポップスから曲名が不明のトランペットを中心としたオープニングのクラシックミュージックが流れてきた。
そして、眩いシルバーライトがステージから客席に向けて発射され、

その影の中に「ビリー・ジョエル殿」がいた。

オープニングナンバーは同じく、「怒れる若者(Angry young man)」。

その日は拙者も周りは気にせずに、千秋様(のだめカンタービレ)のように、華麗?にライトペンを振り回し、はじめからSTAND PLAY!!! 再び機関銃の弾丸ように弾き出される彼の心地よいピアノ音に皆、身体を打ち抜かれ、感じた・・・・・。

アリーナ席だけでなく、今回は2階席でもかなりの方々は、初っ端からポツポツと立っている奴がいた。(東京最後の夜だしね。)

2曲目はピアノソロで「さくらさくら」、

3曲目の「マイ・ライフ(My life)」へと移った時、前回を上回る地鳴りのような低い声での大合唱が東京ドームを包み、拙者も指揮者の様にライトペンを振り回しながら大声で、歌った。

4曲目「オネスティ(Honesty)」。

ライトがブルーに変わり、再び地鳴りのような大合唱が震度を増し、ドームを揺らし、皆、彼の音楽の世界にドップリと浸かった・・・・・。

演奏後のMCで、ビリー殿から「今日はフジテレビのカメラが来てるんだ」と告げられ、のちに調べたら、2007年4月19日に「フジテレビ721」で、このライブが放映されることを知った。

5曲目「エンターティナー(The Entertaner)」、

6曲目「ザンジバル(Zanzibar)」、

7曲目「ニューヨークへの思い(New York state of my mind)」、

8曲目「アレン・タウン(Allen Town)」、

9曲目「ドンド・アスク・ミー・ワイ(Don't ask me why)」、

10曲目、拙者にとって運命の音楽、「ストレンジャー(The Stranger)」。

もうここまで来ると、騒ぐのに忙しく、曲順をメモするので精一杯、MCでは、いつものように「この曲はあのアルバムに入っていた曲なんだ」という内容のことが多かった。

11曲目「素顔のままで(Just the way you are)、

12曲目「ムーヴィング・アウト(Movin'Out)」、

13曲目、ビリー殿はピアノから離れ「指パッチン!」で「イノセントマン(An Innocent man)」を歌い、

14曲目「マイアミ2017(Maiami2017)」、

15曲目「シーズ・オールウェイズ・ウーマン(She's always women )」、再び大合唱がドームの震度を増した。

16曲目「愛はEXTREMES (I go to extremes)」、拙者も指揮?をしながら大声で歌いHIGHになった。

17曲目「ザ・リバー・オフ・ザ・ドリームス(The river of the dreams)」、Cool down.

18曲目「曲名不明のメタルナンバー(ビリー殿はギター、ヴォーカルはジェイソン?殿)」

19曲目「ハートにファイアー(We didn't start the FIRE)」が鳴り出すと、HIGHな感覚が再燃し、「アメリカ国旗のバンダナ」を振りかざした。

20曲目の「ビッグ・ショット(Big shot)」では、すぐ隣の後楽園ホールで収録されている日本テレビの番組「笑点」の司会者桂歌丸師匠のようにデコが見えるように髪を掻き揚げ汗を拭い、日本人にしか分からないか、(笑)。多くは語らないが・・・・・

21曲目「ロックンロールが最高さ(It's still Rock'n roll to me)」、

そしてラストナンバー22曲目は、拙者のソロライブでは、はじめに歌わせていただいている「ガラスのニューヨーク(You may be right)」。

もう拙者の意識は「感冒トリップ」で別次元へ飛んでいました。

「感冒トリップ」とは、風邪をひいた状態の時、急激な運動を行い意識を失わせ、トリップすることです。温泉の「のぼせトリップ」より強力に、精神の「トランス状態」に入る事が可能です。しかし、医学的に非常に危険な状態なので、「ZONE」を超えた経験のない方々は、やめたほうがいいです。
でも、いかがですか?マキハラ殿(笑)。

トリップ状態から覚め、気が付くと、開場は暗くなっていて、
「アンコール!アンコール!アンコール!!!」の拍手と声が開場に響き渡り、

暫くすると再び明るくなり、ビリー殿とツアーメンバーが、大歓声の中、登場した。

アンコール1曲目通算で23曲目は「イタリアンレストランで(Scenes from an ITALIAN restaurant)」、

24曲目「上を向いて歩こう」は、ビリー殿のピアノソロで、再び大合唱がドームを包み込んだ。

25曲目、ビリー・ジョエル東京ドーム公演2006、

本当のラストナンバーは「ピアノマン(Piano man)」。

もう、声がガラガラで、嗄れているのも気にせず、大声で歌い、大きく左右にライトペンを振った。ドームの大合唱隊も、少しずれている奴もいたが絶好調!!! 所々、ビリー殿の歌声に合わせ、拙者のようにライトペンを大きく左右に振り回している奴らもかなりいた。

ARIGATO−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−!!!
TOKYO−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−!!!
SAYONARA−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−!!!!!

「BILLY〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 
また来いよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 

もう、興奮のあまり、英語で叫ぶ余裕など、もうなかった。

夢見るように、BILLY JOEL殿の二日間にわたる東京ドーム公演2006は、終了した。



またいつものようにゆっくりと、会場でコンサートの余韻に浸ろうとしたが、拙者の隣にいた警備スタッフの方が、「安全のため退席願います」と言ったので、仕方なく、名残惜しかったが、会場を後にした。
会場の外の広場には、かなり遅くの時間まで人々が残り、ツアーグッズを買ったり、ドームや看板をバックに写真を撮ったり、灯り始めたイルミネーションを前に語り合っている奴らがかなりいた。空を見上げると、少し膨らんだ半月が南中しようとしていた。
また暫く、東京ドーム前の広場に留まり、ゆっくりとドーム周辺を歩きながら、イルミネーションや街の灯りを眺め、東京最後の夜を楽しんだ。

                 

「今度はいつここに来れるかな?今回は連絡取らなかったが、東京に居るあいつは元気かな??」などなど・・・・・。様々な思いを巡らせながら、秋の夜風が吹き渡る夜の街を、ストレンジャーの出だしの口笛を吹きながら、宿へ戻った。





12月01日(金曜日) 東京滞在最終日、07:00起床

ムニャムニャと、ベッドに入ったまま、リモコンでテレビをつけると「いじめ問題」。朝のワイドショーの解説者のくだらないコメントにツッコミを入れる。
「ケッ、ただ管理して、支配して、威張り散らして、満足したいだけやろ!オンドレの決めた社会の型や尺度なんか、FUCK OFFやでェーーーーー!!!」
「んッ!!!」 声がさらに、ガラガラに嗄れていた。頭がボーッとする。熱っぽい、鼻をかみ過ぎて鼻血が出た!!! 昨日までの無理のリバウンドが今来たか・・・・・。 ぬくぬくとベッドから立ち上がり、暴力コーヒーをカラッポの胃袋に流し込んで、身支度。
今回の旅の荷物は多からず少なからずで中途半端だった。もう少し多かったらカバンをトランクにして、旅用トランペットのしほりちゃんか、旅用ギターのまりちゃんも連れてこれたのだが、今回は、龍笛のひろちゃん1号だけだったが、しかし、演奏する時間も場所もなかった。

09:30宿をチェックアウト。お世話になった方々にお礼を言い、同郷の方に、このあたりの写真などがたくさん掲載しているこのサイトのアドレスが書いてある名刺を渡して、宿を後にした。
水道橋駅から中央線に乗り、窓の外に東京ドームの屋根を眺め、別れを告げ、東京駅へ向かった。

13:32発の上越新幹線とき325号の発車まではまだ時間がありすぎたので、次回東京に来る時のために、いままであまり関心を持って見ていなかった東京駅構内を探検した。

駅の内部の構造は、大阪駅に比べると通路・コンコース一つ一つの規模が微妙に大きい。売店・食堂の数と規模のバリエーションが豊富だ。
そして、今回初めて発見したものだが、百円を入れると、一時間閲覧可能な、インターネットの開放端末があった。今回はもっと駅舎の中を見たかったのでやらなかったが、旅先でのこのサイトのチェックなど、次回から利用しよう。

11:00、構内のカレーショップ「TIME」でカツカレーを食べる。その後また暫く構内をブラブラして、12:30頃から上越新幹線の乗り場前の柱でウンコ座りして携帯をいじりながら人間観察。人間観察をしながら、今回の旅を振り返った。

そういえば今回も「巡礼の旅」、東京付近に在住の親戚・友人・知人には連絡を入れなかった。すまん。そして、ビリー殿の音楽に集中したかったので、それで良かった。中途半端に会ってお互いの生活のペースを乱すよりは・・・・・、
 
マナが満ちたらまた合おう!!! その時が本当に会う時や。

ホームに新幹線が到着したアナウンスを聞いて、決まりのポーズで改札口を抜け乗車。定刻通りとき325号は新潟に向けて発車した。隅田川と思われる川を通過した時、心の中で呟いた。

「さらば、東京。またいつの日か・・・・」

                              


高崎から山脈のトンネルを抜け、新潟県内に入ると、雨だった。

しかも洪水警報が発令中で金沢・大阪方面への列車は運休。新潟駅到着後、乗り継ぎ時間が短かったので、慌しく、いなほ7号に乗車。
外はもう暗かったので外は見ず、大阪在住時から大切に聴いてきたミュージック・テープのビリー殿のアルバム「ニューヨーク52番街」を聴いた。

18:00、降りしきる豪雨とシベリア颪の吹きすさぶ中、定刻通りいなほ7号は酒田駅に到着。決まりのポーズで改札口を抜けて、旅は終わった。
ようやくこれで、今まで30年間、なかなか叶えることができなかったひとつの夢を「叶えた」ことを実感した。

酒田市に帰ってきたら、これまでの緊張感から開放され、風邪とライブで暴れて痛めた喉がイカレ、声が出なくなっていた。この4ヶ月間封印していた飲酒の禁を解き、白い濁り酒を飲んで治療。3日かけて半升飲んだら直った。

そして、この文章を書き始めた12月4日の月曜日。とうとうこのあたりにも、雪の季節がやってきた。

実は今回、東京に行った時、所々で、高校の修学旅行ではじめて大阪に行ったときに感じた「未来の記憶」を感じた。どんなことかは、今ここに書くことはやめておくが、またひとつのことの「始まった」ことを実感している。

時に人生は、あなた自身の意思や、あなたを取り巻く良い人や悪い人、様々な人々の思惑だけでは、どうにもならないものもある・・・・・。





すべては、マナに導かれるままに・・・・・。





(靴音)カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カッ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・











                                       THE END













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