◆ミール・スパシーバ(うおるふぃーのロシアの貨物船乗船記)
★UP DATE 2002.10.06
時代はロシアがまだ「ソビエト」と呼ばれていた時代の話です。
当時まだロシアは社会主義体制の国で、当時の国際情勢を考えたら「無謀な事をした」と思っています。
当時俺は中学校3年生、まだ本格的に音楽を始める直前で、
NHKのFMの「リクエストアワー」、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」、「FEN」から流れてくる音楽に目を輝かせ、
休日は港の埠頭に自転車でスケートボードとラジカセを持っていき、「レイフ・ギャレット」「ビージーズ」「アバ」「KISS」
「チープトリック」「ビレッジピープル」などの音楽をかけながら、仲間とスケートボードの技を競っていました。
そういえば「受験勉強」なんてしたことがありません。無理にやらなくても人生何とかなります。
梅雨の走りの雨が時折降っていた6月の土曜日、部活動を終えて自宅に戻り、着替えてからいつものように港に出かけました。
すでに二人の仲間ふぉくしぃ&たいがーがPlayしており、
「あっ、うおるふぃー来た、ローラーゲームごっこすっぜ!」
ローラースケートでゆっくり滑る二人に追いつく形で滑り「ホイップ!」 ボードは加速し、まだまだ涼しい風が頬を撫でた。
しばらくPlayしていると、時折停泊しているロシアの貨物船のタラップの前で、
いつの間にか来ていた仲間のらいおねる・えれふぁんと・ごりらーがこっちに向かって叫んだ。
「おお-!、この船さ乗せてくいっどやー!乗っぜー!!」
そこには彼らと、貨物船の船員らしい人物が立っていた。
仲間の中で一番英語が堪能な、らいおねるの話によると、以前、この貨物船の一等航海士のパリシニコフ氏が酒田市内で
道に迷ったとき、港まで案内し、友達になったそうだ。
俺たちはパリシニコフ氏にそれぞれ名乗り、握手をして貨物船に乗り込んだ。
船の名前は、ミール・スパシーバ号。
甲板は新しいとは言えなかったが、綺麗に整理整頓され、外見より狭さは感じなかった。
はじめに通されたのは船長室で、船長のトルストイ氏が出迎えてくれ、俺たちは自分たちの自己紹介をし、
自己紹介終了後、トルストイ船長は地図を指さし、ミール・スパシーバ号はロシアのナホトカ港から4.5日かけて
酒田港に木材を運んで来ている事、絵はがきを示し、港町ナホトカの街の様子を語ってくれた。
このナホトカ港からは当時、酒田港だけでなく、小樽・新潟などとも貿易しており、この船が酒田港に入港したのは3ヶ月振りだそうだ。
らいおねるは、ドルストイ船長・パリシニコフ一等航海士と、片言ながら会話をしていたが、会話の意味が理解不能でその時、
英語の大切さを実感した。
船長室でお茶をごちそうになっているとき、短波ラジオから流れてくるロシア語のニュース、そして音楽が印象的だった。
その後機関室に案内され、自動車のエンジンとは比べものにならないほどドデカイ船のエンジンがけたたましく唸りを上げており、
油の臭いが鼻を突いた。
少し大きめの声で、「停泊中なのになぜエンジンがかかっているんですか?」と聞いたら、
点検の時以外は、船内に電気を供給するため作動しているんだよ。とパリシニコフ氏は答えた。
ちょうどその一年前家族旅行で酒田市内の飛島に行ったときに乗った「とびしま丸」とは桁が違い、
さすがに日本海の荒波を越えて来るためには、パワーが必要な事を体感した。
その後ブリッジに案内され、喧しいエンジン音と油の臭いから解放され、安心した。
ブリッジの内部は、床・壁・天井の塗装がグレーに統一され、広々とした空間が確保されており、一番後ろに舵のハンドル、
その左右にレーダーや船内管理のためのコントロールパネルのボックスが設置されていた。
前方の窓に立つと、海面から20メートル程の高さにあるため、視界は良好で、船尾部分を除く約300度の視界が望め、かなり遠くまで見渡せた。
船首部分のすぐ下を見ると、俺たちの自転車が糸くずのように見えた。
らいおねるが「この船はいつまで停泊しているんですか?」と聞くと、
トルストイ船長が「月曜日には出航し、一ヶ月後に新潟港に入港する予定だ」と答えてくれた。
夕暮れが近づく西日の差し込むブリッジで、みんなを代表してらいおねるが、
「いろいろ見学させていただきありがとうございました。」とお礼を言って、トルストイ船長・パリシニコフ一等航海士と握手し下船した。
翌日の日曜日の午後、6人はまたいつものように港に集合し、再び船の中を見学させていただき、
別れ際に、酒田市の名物のお菓子と「航海の無事を祈ります」と書いたメッセージカードをトルストイ船長に手渡した。
「またお会いしましょう」と、トルストイ船長からは「ナホトカの絵はがき」がプレゼントされ、
その絵はがきには、ナホトカの港・街並み・自然の風景が映し出されており、再びロシアの風景の美しさに感動した。
再びトルストイ船長・パリシニコフ一等航海士と握手をし、
「お元気で、またいつかお会いしましょう。航海の無事を祈っております」と片言の英語で別れの挨拶をして、
「ありがとう、君たちも元気で。」と、笑顔で答えてくれた。
そして月曜日、学校の朝礼が終わりいつものように、居眠りをしながら2時間目の授業を受けていると、
港の方向から「ボー・ボー・ボーーーーッ」と汽笛の音が響いてきて、
同じクラスだった俺とらいおねるとふぉくしーは顔を見合わせた。
「ミール・スパシーバ号出航するんだ」
「また会いたいなと」思いながら退屈な授業の眠りに落ちて行った。
それから秋、バンド活動を始めたらあまり港には行かなくなり、スケートボードより、いつの間にか
オルガン・ピアノ・ギターに触れる機会が多くなり、中学校卒業後、あのころの仲間とも会わなくなった。
今度の休日、またスケートボードとラジカセを持って港に行ってみよう。
「ミール・スパシーバ号」、トルストイ船長・パリシニコフ一等航海士。らいおねる・ふぉくしー・たいがー・えれふぁんと・ごりらーと
再び会えそうな気がする。
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