旅日記・関西巡礼2003・春

                                   ★UP DATE 2003.04.13


 

 

 

2003年3月16日午後9時15分、酒田駅から大阪に向かうために寝台夜行特急「日本海2号」に俺は乗り込んだ。

大阪への旅は友人の結婚式出席のため飛行機で行った1996年以来7年振りで、電車での旅は1995年以来8年振りだった。

寝台特急日本海で大阪に向かうたび、気分はコミックス「銀河鉄道999」の主人公「星野哲郎」の気分になる。

しかし、相変わらず「メーテル」はいない(笑)。

 今回の旅は、いろいろと「やむごとなき」理由が重なった旅だった。具体的に書くのは控えるが、3月10日から3月21日にかけて、

この1月4日に逝去したロヨラも大好きだったザ・ローリングストーンズのLICKS World Tour2002/03の

チケット販売開始の情報を耳にした。1990年の初来日以来何度もチケットを手に入れようと努力したがうまくいかず、

2月13日酒田市内のコンビニ3件を廻って3月20日の大阪ドーム公演のチケットを手に入れることが出来、

「ハイホ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」

と天にも上る気分だった。つくづく俺は東京より大阪に縁がある。それから速やかに大阪行きのスケジュール調整、宿・電車の手配を行った。

 

 

 

 3月17日午前5時45分、日本海2号は滋賀県の琵琶湖北湖畔に差し掛かり目覚めた直後、ロヨラが暮らしていた南湖畔に一礼し

「来たぞ!」と心の中で呟いた。その後、京都駅とリンクを貼らせていただいている「星の扉・Astral Gate」の「翠雨殿」のふるさと

高槻市を通過し7時4分、日本海2号は大阪駅に到着した。

 

   ★淀川★                      ★天王寺★

     

 

 到着直後、まだラッシュアワー直前だったので速やかに外回りの環状線に乗り換え、20日にコンサートが行われる大阪ドームを確認しながら

天王寺へと向かった。天王寺駅に到着するとすでにこの時にはラッシュアワーが始まり、改札口を抜けたあとコインロッカーの場所に

たどり着くのに手間取った。コインロッカーに荷物を預けたあと、国鉄天王寺駅と近鉄阿倍野橋駅を結ぶ歩道橋の上で大阪にまた戻ってきたことを実感し、

近鉄デパートの南にあった喫茶店でブレンドコーヒー・トースト・スクランブルエッグ・サラダのモーニングセットで朝食を摂った。

 朝食後、路面電車の阪堺上町電車に乗り込み東天下茶屋で下車した。目指すは「安倍晴明神社」。

天下茶屋の街並みはコミックス「ジャリンコ・チエ」の舞台となった典型的な大阪の下町で下車後、何かに引き込まれるように安倍晴明神社を参拝した。

俺が参拝に行ったときは、境内の御神木の手入れ中でトラックが搬入していた。

 

   ★安倍晴明神社★                  ★阿倍王子神社★

      

 

 参拝後、まだ時間が早かったせいか売店は開いておらず。熊野街道を南下して近所の「阿倍王子神社」に向かった。

本殿・支社殿参拝後、そこの売店は開いていたので御札とお守りを購入し、しばらくの間境内にある休憩所で、時が流れるのを楽しんだ。

境内を行き交う人を見ていると、参拝の人は絶えることなく続き、参拝している人々は誰もが近所の人々らしく、丁寧にお参りしていた。

 11時、再び安倍晴明神社に参拝に向かい、参拝後売店のオバちゃんといろいろと話し込み、お守り・御札・グッズなどを購入後、

御神木の手入れ時に出た枝を授かり、再び阪堺上町電車で天王寺へと向かった。

 そういえば、阿倍王子神社・安倍晴明神社の近所には実名は書きませんが、ある方と同じ苗字の方々が住んでいたのが気になって後日資料を読んだら、

その方々は安倍晴明公の御子孫の方々で「晴明公の子孫もあっちこっちに住んでいて、菅原道真公と同じく、珍しくないんだな」と感じた。

 正午、天王寺駅到着後駅横でレンタカーを借りて、今回の旅の基地となる柏原市の宿に向かった。

昼食はその途中のファミレスで摂ろうと考えていたが結局、その途中のコンビニで「豚まん」で済ませた。

 宿には到着したが、チェックインの時間には早すぎたので、そのまま大和川を渡り藤井寺市に入り、羽曳野市・富田林市・太子町・河南町と

石川を遡り母校の南河内の大学へ向かった。流石に7年も来ていないと、あっちこっちに新しい道路・建物が建ち、取り壊された建物もあり、

変化を感じずにはいられなかった。特に南河内の大学は、玄関となる西側はそんなに変化は見られなかったが、かつてグラウンドだった東側には

新しい建物がたくさん建っていた。その東側の駐車場まで車を乗り入れ、小説・Heart is Gold〜のはじめの舞台となった

8号館4階の教室に向かった。春休みだったせいか校内には人は少なかったが、各学科の研究室は活動中だった。

7号館5階の俺が所属していた文芸学科の研究室は相変わらずで、一番驚いたのは、研究室の前に、ここの教授・講師・研究生・卒業生・学生が

執筆・編集・発行した1991年以降の「河南文学」「河南論集」の書籍が山積みされていた。無料だったので目次をみて面白そうなものを貰ってきた。

 

     ★12号館★                  ★12号館から★

     

 

     ★ユーゴ通り★                 ★ダンスチームサークル★

      

 

 7号館から大学のメインストリート通称「ユーゴ通り」を西に向かうと大学事務局のある11号館、その向こうにJAZZ研究会のクラブハウスが

あった12号館がある。そこへ向かう途中11号館のガラスの壁の前で「ダンスチームのサークル」がレッスン中で、

12号館の2階では奈良県に近い土地柄のせいか、いつの間にか出来上がった「雅楽のサークル」が舞と音曲の稽古をしていた。

なんだか俺たちが現役の頃より学内は活気があるみたいだったので安心した。そしてJAZZ研究会クラブハウスがあった12−31号室は

現在「アジア・アフリカ研究室」となっており、2003年現在、JAZZ研究会のクラブハウスは何処に移ったか行方不明となった。

再びこの場所に立つと、心はHeart is Gold〜の頃に戻ってしまう。今昇ってきた階段を振り向くと、

ロヨラやジョンがやってきそうな錯覚に囚われてしまう。今回は学内にかなりの人がいたので演奏は行わず、写真撮りに集中してきました。

 それから図書館・11号館で現在の学内広報・求人情報などの確認をして、JAZZ研究会のもうひとつの練習場21号館の屋上に行こうとしたが、

鍵がかかっていて行けず、再び8号館の4階の教室に戻り大学周辺をドライブ後、宿に戻った。

 宿に到着後、豚カツ定食で夕食を摂り、入浴後自宅とロヨラの家に連絡し、ロヨラの墓参りは彼の奥さん(以後仮名称・ナミエさん)の都合から

翌日行くことが決定した。

その夜は宿から南河内から大阪市内まで広がる街の灯りの地上の星と、オリオン・シリウス・レグルスそして木星が輝く天空の星を楽しんで眠りに就いた。

 

 

 

 3月18日午前6時45分起床、バランス栄養食品を食べながらモーニングコーヒーと朝靄に煙る大和川・石川・道明寺・玉手山などの

景色を楽しんだ後、ロヨラの暮らしていた町へ出発。今回のルートは、柏原市から大和川を渡り藤井寺ICから高速に乗り、滋賀県の栗東ICから

国道1号線を東に進むルートを選択した。今も変わりないが、学生時代は貧乏だったので、関西の高速道路は初体験。

東大阪ICから吹田JCTにかけて渋滞に巻き込まれイライラした。ようやく渋滞を抜けたと思ったら、栗東ICを降りた後、

今度は国道1号線でまた渋滞。その最中に再びナミエさんに連絡を入れて、お昼にようやくロヨラの暮らしていた町に到着した。

 町内のドラッグストアーの駐車場でナミエさんと待ち合わせをして、ロヨラの実家に向かい仏壇に手を合わせた。

その後、ロヨラの母親、ナミエさん、ロヨラの息子達と昼食を摂り、ロヨラの最後のときの状況、思い出話、これからの話をした後、墓参りに向かった。ロヨラの墓は住宅地の中の一角にあり彼岸の入りだったせいか、この日は風が強い中、多くの人たちが墓参りに来ていた。

今回墓参りに行って感じたことだが、仏壇やお墓よりも彼の魂は、彼の家族や自宅・南河内の大学・インターネットの中、

そして我々の心の中などの思い出深かった場所に彼の魂はあると感じました。彼の魂の遺伝子はまだそれらの場所で生き続けています。

 墓参り終了後ロヨラの自宅に行き、吃驚しました。具体的には書きませんが、「風水」の理論でみると家相は最悪でした。

そのときは応急処置方をナミエさん教授し、後日具体的な改善・対処法を手紙に書きました。それらが機能し、

ロヨラの御家族が一日も早く安定的な生活に戻れることを祈ります。

 そして、一番吃驚したのは彼のアトリエのパソコンに触ったとき、ロヨラは松本零士氏原作の映画「銀河鉄道999」の「トチロー」の魂が

親友キャプテン・ハーロックの海賊船アルカディア号の魂となったように、彼のパソコンの中に魂の一部が宿り、今もネットの海を漂いながら

生き続けていることを感じました。ナミエさんには秘密になっていたロヨラと俺のホームページを見せた後、

「今度はいつお会い出来るか分かりませんがお元気で!お世話になりました」

と握手を交わし別れた。

帰り道、大阪市内に入ったとき、バックミラー越しに見える大きな赤い満月が印象的でした。

 

 

 

 3月19日午前8時頃起床、朝食後今回の旅の第5の目的地、奈良県桜井市の「安倍文殊院」に向かった。

南河内の大学に向かうように、近鉄喜志駅付近から東に伸びる「竹の内街道」を東へ、石川を渡り、「太子四つ辻」から約1km南へ行くと

母校の南河内の大学で、大阪在住の頃行くことはなかったが、今回は初めて東に向かい、聖徳太子の墓所「叡福寺」前を通過し、大阪府・奈良県境の

竹の内峠を越えた。

 峠を越えると、古の都が点在した奈良盆地のパノラマが広がり、住宅地・田園地帯を抜けてさらに東に向かった。奈良盆地の住宅地には、

一般的な街並みに点在し多くの古い建物が残されているのがとても印象的だった。しばらく住宅地を走っていると、前方に「阿部」と表示された

信号機の看板が目に入ってきた。

「ここが阿部辻だな」

信号待ちをしながら「九字の印」を結び、阿部辻の交差点を右折した。しばらく走ると安倍文殊院の参道の看板が目に入り、

道しるべのままに車を走らせ、到着した。

 「安倍文殊院」は奈良盆地の南東の桜井市安倍山に位置するお寺で、俺の先祖神「須佐之男命」から俺の遠い先祖がこの土地を治めることを

任された土地です。孝徳天皇の時代の「大化の改新」の時左大臣となった安倍倉橋麻呂公が、安倍一族の氏寺として建立しました。

ご本尊は文殊菩薩で、安倍一族で大きな功績を残した安倍仲麻呂公、安倍晴明公などが境内に祀られている。

 参拝前に七福神の掛け軸が飾られた茶室で抹茶を頂いた後、本堂に向かい、和尚さんからこのお寺の説明を聴き、

ご本尊の獅子に跨った文殊菩薩像はじめとした仏像を参拝した。御札・お守り購入・絵馬奉納後、境内を3時間ほどかけてゆっくりと参拝・散策した。

参拝終了後に境内の土産物屋で昼食を摂り、売店の方からもいろいろと話を聞いた。

名残惜しかったが帰路に就いたとき、再び阿部辻に差し掛かった時に再び、九字の印を結んだ後狐の嫁入りの天気雨が降ったのが印象的でした。

 

    ★奥が安倍文殊院本堂、手前が安倍仲麻呂堂★         ★境内の満開の梅★

      

 

            

       ★安倍晴明堂★                  ★聖徳太子墓所★

 

 その日はまだ日が高かったので、文殊院に向かうとき気になった叡福寺の聖徳太子の墓参りに向かい参拝し、その後千早赤坂村・河内長野市から

堺市の鳳へ向かい、大鳥神社を参拝しようとしたが、既に日没。次回大阪を訪れたとき、気合を入れて参拝することにして、

おおとりWINGSで焼きそば・タコ焼きを食べて、十六夜の月をナビゲーターに宿に戻った。

 宿に戻った後、誰もいない大浴場の露天風呂で、木星・レグルス・シリウス・オリオンの天空の星と、大阪市内から南河内までの街灯が描き出した

地上の星の間で瞑想し、貴重で贅沢な至福の時を過ごした。

 

 

 

 3月20日午前9時起床、朝食を済ませ身支度後、ザ・ローリングストーンズ大阪公演が開始される大阪ドームへ向かった。

到着は10時30分、さすがに早すぎたせいか余裕で駐車場に入ることが出来た。近所のイタリアンレストランでパスタセットで昼食を摂り、

それでもまだまだ時間があったので、地下鉄に乗り難波へ向かった。

 地下鉄から降りて正午、ヒッカケ橋(戎橋)前のオーロラビジョンでイラク戦争の開戦を知った。

「また中途半端に偉い奴等の、ワガママが始まってしまったか・・・・・」と、怒りを感じた。

その後、大阪在住時よく通っていた楽器屋・CDショップ、書店に行き、結局何も買わずに3時間位ぶらついた後、大阪ドームへ戻った。

 大阪ドームに到着すると、既に、ツアーグッズの販売が開始されており。パンフレット・帽子・Tシャツ・バッジなどなど無差別に買い込んだ。

買い込んだグッズを車まで運び、品定め後、ベロマーク入りの黒いベレー帽をかぶり再びドーム周辺をうろついた。

 ドームの中の廊下をうろついていると、何かのパネルの前に人垣が出来ていた。近くに行ってみると。

1998年に大阪ドームで公演した際のザ・ローリングストーンズのメンバーを初めとする国内外のアーティストの

ブロンズの手形・拳形が展示されていた。

「この際だから」と、ひとりひとりの手形・拳形に俺の手・拳を合わせて「気」を感じていると、さすがに「あのお方」のものからは、

「バチバチ・ドッカンーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

と、強力な「気」を感じた。

 ひと回り散策した後、ドーム内のファーストフード店で休んでいると、あるカップルの男の方が話しかけてきた。

 「すみません、あなたの写真を撮らせていただけませんか?」

 「なんで?」 

「なかなかいい感じのファッションなので」

 しばらく考えた後、 

「いいよ」 

そして男は、カメラ付携帯電話で撮影を開始した。

 「どうも有難うございました」

そのときの俺の格好は、黒いベロマーク入りのベレー帽、黒のダブルのスーツに金色のネクタイ、黒のトレッキングシューズをラフに崩して

着こなしていた。

 午後5時30分開場、俺の席は一塁側スタンドのかなり前方の上の方だった(着席後、ロヨラを召還!)。

サッカーのポデションで言うと右のウイング、眼下にはステージから張り出した花道があった。徐々に集まり始めていた客層はかなり広く、

10代から50代ぐらいで、双眼鏡でアリーナ・ステージを確認するとアリーナに「イッツ オンリー ロックンロール」の

プロモーションビデオのコスプレのセーラー服を着た、40代位の女性が居て大笑いした。(俺も人のことは言えないか・・・・・・)。

 午後7時15分、定刻より15分遅れて開演。一発目は「ブラウン シュガー」夢の世界の始まりだった。

「I say Yeah!Yeah!Yeah!Hoo―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」

ブラウン シュガーの歌詞を読むと分かりますが、この選曲は彼らなりにイラク戦争の開戦に抗議したものなのでしょうか?

流石に12年前の湾岸戦争を題材にした曲「ハイ ワイアー」は演奏しなかったが、

「無情の世界」「ミッドナイト ランブラー」などなど、グローリーな選曲が目立ち、

1978年のアルバムサムガールズの「レスペクタブル」の歌詞にもあるように、

大統領とヘロインのお話しも出来る彼らの複雑な立場が伺えた。

このグローリーな感じはなんとなく、1991年の、泉谷しげる氏の仙台公演の会場に似ていた。

 そして「レット イット ブリード」の時 ミック ジャガー氏は、期待していたんですが、オリジナルの歌詞にあった

「C■■■m On」という単語は口にしませんでした。

そのことを残念がっていると、隣の席のTommy February6に似ているお姉さんから「そうだ!そうだ!」と突っ込みを入れていました。

 メンバー紹介でバッキングボーカルのリサ フィスチャーさんが紹介されたとき思わず、

「Hot Legsーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

と叫んだら、ロン・ウッド氏が困ったような顔で「それはロッド スチュワートの曲だろ!!」と、ツッコミを入れたそうな顔をされ、

チャーリー ワッツ氏は相変わらず「冷静な仕事人?」に徹していました。

 その後「悪魔を哀れむ歌」でトランス状態に陥り、どの曲か忘れてしまったが

恐らく「ビッチ」キース リチャーズ氏がギターソロ演奏のためステージから右側の花道にやって来ました。演奏終了後、

「Keith――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」

と叫んだところ(俺の声は、かなりデカイです!!)手を挙げて応えてくれました。

現世の間にお互いの存在が確認できた至福の時でした。

 そしてラストナンバーは「サティスファクション」、アンコールは「ジャンビン ジャック フラッシュ」。

大阪滞在中聴いていた「ラジオ802」で、RCサクセション&ルーザーのギターリストの仲井戸麗市氏が語っていましたが、

「本当に夢のように、あっ、言う間に終わってしまった」感じでした。

今まで何度もビデオ&DVDで彼らのライブは観ていましたが、彼らの存在感強く、あまりにもリアリティに溢れ、これからDVDを鑑賞すると、

現実と虚像の識別が不能となってしまいそうです。もう生で彼らの「気」を感じてしまいましたので。

 公演終了後、また少し大阪市内を迷いながら宿に戻ると11時、門限時間は終了していた。

ちょうど俺と入れ違いで宿から出たい方もいたので、二人で管理人さんを呼び出しドアを開けてもらった。

その日はカメラを持って行っていなかったので部屋の中でその日のファッションを撮影し、入浴後、就寝した。

 

 

 

 3月21日午前9時30分起床、今日は関西滞在最終日。朝食・身支度後に、お土産・ストーンズのツアーグッズを宅急便で送付後チェックアウト。

 

    ★宿からの景色とお世話になったレンタカー★

       

 

天王寺駅にレンタカーを走らせた。ガソリンを満タンにしてレンタカーを返却後、再びコインロッカーに荷物を預け、阿倍野橋近鉄デパートの最上階のレストラン街で昼食を摂った。詳しく書くのは控えますが、ここは俺にとって大阪の学生時代の思い出深い場所です。

あの日のようにアイスレモンティーを注文しても、あの日には戻れないが・・・・・・・。

 昼食終了後、歩道橋の上を歩いていると、インド?の方がチベット仏教?の法具を露天に並べ、販売していた。どれも安っぽい感じがしたが、

ひとつだけ魅せられた物があり、値段も手ごろだったので購入した。それのドデカイものが19日に訪れた安倍文殊院のご本尊の前にありました。その後、

コインロッカーの荷物を取った後、梅田に向かうため再び外回りの環状線に乗り込み、天王寺を後にした。

 12時31分、梅田到着後また空いているコインロッカーを探したが見つからず30分ぐらい大阪駅構内をウロウロした。

ようやく開いているところを見つけ、荷物を預けて再び梅田の街を徘徊した。この日は金曜日でも彼岸の中日で休日だったため、街には人が溢れていた。

地下街・丸ビル・阪神・阪急デパート・アクティー大阪と徘徊し、知らないうちにHep5の前に居た。ここの8階のホールは、

大学2回生のとき所属していたG&Bモンスターズで、ベーシストとして参加していた頃、ステージを踏んだ場所だった。

その日はどこかの劇団が公演中で、写真を撮ってくることは出来なかったが、

あの頃のG&Bモンスターズのメンバーは今、何処で何をして居るでしょうか?もし、このホームページを見つけたら連絡ください。待っております。

 ひと通り梅田の街を徘徊した後、アクティ大阪の最上階のレストランで淀川と大阪湾に沈む太陽を眺め

「悲しい色やねん」

と感じながら夕食を摂り、ゆっくりと流れる大阪滞在最後の時間を楽しみました。

 

    ★大阪市街地★                     ★大阪湾★

      

 

 今回の旅では、17日に安倍晴明神社・阿倍王子神社、南河内の母校。18日にロヨラ氏の墓参り。19日に安倍文殊院・叡福寺。

20日にザローリングストーンズのコンサート、宿があった柏原市、大阪市内の天王寺、難波・梅田周辺など。御宮参り・御寺参り・御墓参りの

三点セット+aで、ほとんど「巡礼の旅」となってしまいました。(ほかにも隠密行動がありましたが・・・・・)

「また来るときは、また何処かが変わっておるんやろな、今回も忙し過ぎたけど、今度関西に来るときは学生時代の連れにも連絡しょ」

と、ウトウト考えているうちに大阪湾に太陽は落ちて、アクティ大阪の東側の入り口から阪神デパートの屋上を見る上げると空には木星が輝いていた。

「流石にこんな汚れた空気の中でも、木星はよー見えるわー」

と感心しながら、

「再びこの地を訪れることが出来ますように」

と祈り、コインロッカーに荷物を取りに行き、改札口を抜けた。

 寝台特急日本海3号が来るまでのしばらくの間、学生時代大阪を後にした日の事を思い出していた。

あの日は堺市在住の友人が見送りに来てくれたけど今はどこで何しているんだろう。

「今度来るときは連絡しよう」と心の中で呟いた。

 確かあの日も金曜日だった。どうやら大阪に来るたび、後にするたび俺は金曜日に「呪」されている。

これも日本のロックバンド・ハウンドドッグのヒット曲「嵐の金曜日」の影響だろうか?

もう阿倍野橋の近鉄デパートで大阪でのファーストデートした彼女とはもう会えない。もうあの頃へは戻れないことを悟りながら。

 そうしている間に列車はホームに滑り込んできた。停車後寝台に向かい荷物の整理が出来上がった後、寝台に座ると列車は走り出した。

幾つものライムライトを見送りながら再び列車は琵琶湖畔に到着し、ロヨラが暮らしていた街の灯りを探し、

「また来るぞ」

と呟いた後、カーテンを閉めてレールと車輪、汽笛を子守唄に眠りに就いた。

 

 

 3月22日午前5時45分起床、日本海3号は新潟県の最北端の山北町を走っていた。

カーテンを開けると晴れ渡った青い空、眩しい朝の光と蒼い日本海が目の前に広がっていた。下車までほぼ1時間、缶でモーニングコーヒー飲み、

洗面後再び荷物を整理し、列車は日本海沿岸から庄内平野に入り、鶴岡駅通過後乗降デッキに向かった。

線路の近くの土手に目をやると、雪が降っていたらしく白いものがポツリポツリと見えたが、もう積雪の季節は終わり、

すでに早春の農業作業を行っている人々が見えた。

 午前7時3分、日本海3号は酒田駅に定刻通り到着し、ホームに降り立ち、改札口を抜けて、旅は終わった。

今回の旅は旅へ出ることが決定した2月13日から3月16日までの始まる時までは長かったが、

今、この旅が終わってしまうと夢を見ていた様に短かったような気がする。

どちらにしても旅は日常の生活から離れた場所にある時間のものだ。

今度は何処へ旅立つか分からないが、とりあえず今をしっかり生きよう。

 

次の旅立ちの日まで・・・・・・。

 

                                     WOLFIE−JAPAN2003(C)


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