うおるふぃーのフェバリット・ヒストリー2003


  ★新しいものは上に、古いものは下に更新して行きます。

   JAPANESE INDEX  ENGLISH INDEX

WOLFIE‘S FEVORITE HISTORY(Japanese)

WOLFIE’S FEVORITE HISTORY(English)

   WOLFIE’S FEVORITE HISTORY 2003(English)


当ホームページでは、今のところ掲示板を開設する予定はありません。下記の発言にご用の方は、

ここをクリックしてメールを送ってください。


127日 更新

いままで忙しすぎて出来ませんでしたが、今回が初めての、

このホームページ拙者自身の誕生日UPとなります。

毎年たくさんの方々からお祝いのメール&プレゼントをいただき、

誠にありがとうございます。これからもよろしく!!

 

今回は、思うところがありようこそのページを改装しました。

ホームページの容量節約のため、相変わらず地味ですが???(笑)。

その分これからも隠し呪文・隠しリンク・隠し画像、

そして作品発表の充実に取り組みますので、

これからもよろしく!!

 

今年もいろいろとありすぎました。

大まかなところは既にここに書いておりますが、書ききれないもの、このホームページの経営戦略上秘密にしておいた方が良いもの、

たくさんあります。 そこで今年から、毎年恒例にするか反応を見てから決めますが、

今年のを毎年最後頃のUPに、ここに記させていただきます。

 

◆今年の

ハッキリ言って今年ほど喜びが少ない年は、近年には無かったです。

そんな中で、あきらめていたことで、ひとつ出来たことがあります。 320日に大阪ドームで公演された

ザ・ローリング ストーンズ

LICKS WORLD TOUR 2002/03

を鑑賞できたことです。

しかも、キース・リチャーズ氏とのアイ・コンタクト付き!!

詳しい内容はうおるふぃーの NOVEL旅日記・関西巡礼2003・春をご覧下さい。

そして、今年行った公演で、もう一人アイ・コンタクト?が出来た方がいます。 21日、山形県余目町の「響ホール」で行われた

狂言を楽しむ会を主催した野村萬斎氏。

萩大名棒縛りの間の休憩時間に、能舞台の床とはどんなものかな?と思い、舞台に近づき観察した。

なるほど、能舞台とは太鼓の上、もしくは太鼓の中のような構造なんだなと納得し、

顔上げて舞台の袖の方を見たら、 萬斎氏が睨んでいました!!

ややこしや!!

萬斎氏自身、その舞台で公演し気づいていると思いますが、舞台にはかけていませんので安心してください。

人を呪わば墓穴二つ どのジャンルの舞台芸術にとっても、いえることですが、

舞台とは、神を宿す演奏者が、

神事を行う神聖な場所です。

 

今年一年、笑うことの無い日はたまにありましたが、心の中に忍ばせてはいたものの、 怒りは多すぎます。

このホームページ最大の問題であるルディ君問題。 いろいろと観察していましたが、面白いことに気づきました。

このホームページの開設当初に記した通り、拙者の作品がとなって生きる方と、拙者の作品がとなって怪我する方がいて、

そのパターンが解析されました。 今の所、悪用されるのを防ぐため、解析結果は公表しません。

本当の解析結果は、拙者の作品がとなって生きた方、となって怪我をした方自身が一番知っているでしょう。

しかし、このパターンも流動的なものであり、

今はでも、ある日突然になるかも知れない。

今はでも、ある日突然になるかも知れません。

、どちらになるかは、拙者とそなたのマナ次第です。

だと感じたら当分の間、ここには来ないほうがいいでしょう。

だと感じたら毎日のように、ここに来てください。歓迎します!!

良かったらメールください(笑)。

 そして最近、拙者と同じ海賊衆の子孫の方々の作品を鑑賞して感じたことですが、

(海賊衆の子孫は日本国内では珍しくないけど)既に過去の書き込みであなた方の存在も、このページ内に匂わせております。

感じてください。 そして、公には絶対に公表しませんが、彼らのように既に存在を匂わせて居る方々、

今の所、存在の公表を控えている方々など かなりいます。

とりあえず、今の所は何も無いので?

俺は俺であるために、

あらゆる方面に中立な立場を取らせていただきます。

 一番おいしい所は、出さないで良かった。

 

やはりロヨラ氏の死です。

もうすぐ彼が逝去して一年経とうとしています。 この春以降あえてロヨラ氏のことは話題にはしませんでしたが、

あるところで彼と親交のあった方々と、約一週間に一度のペースで会話していました。

そして、うおるふぃーの NOVELHEART IS GOLD・ロヨラ・ある芸術家の青春

引用させていただいた彼のホームページロヨラのパンロベルト・カフェ掲載の生きる事について

考えていました。 たどり着いたところが仏教のの根本的な思想でした。

こだわらない・気にしない・頑張らないなどなど、

日本の明治維新以降、西洋から入ってきた教育的思想の「こだわる」「気にする」「頑張る」この思想とは対極にあるものです。

分かりやすく説明すれば羽黒山回峰行記の結びに記したの関係に似ています。

人間が社会生活を営む上で、バランス的にどちらも大切なものです。

しかし、最近の世の中を見ていると、人々の心の中でそのバランス壊れてしまったことは否めません。

現在は、「こだわる」「気にする」「頑張る」の方が強いです。

何もかもが、うっとうしいくらい凝り固まっています。

特に1995年に日本国内で発生したある3つの事件をきっかけに・・・・・・・・。

それらを修正するためには、全ての固定概念を「・」の状態に戻し、

こだわらない・気にしない・頑張らない

今こそ、発想の転換を行い、新しいものを創造するために、

バカを目指すことも必要かもしれない。

今、改めてロヨラ氏が残したホームページを読み返してみると、

途轍もない宿題を出してくれたものだと感じている。

ロヨラ氏の残した論文の解釈は、下手すると一生かかっても終わらないかもしれないけど、

これから必要になったとき、じっくり考えて行きたい。

 

今年は不景気で仕事が無くなり、暇になったせいもあり、ここ数年患っていた「肉体的・精神的」な病気が全て治りました。

そして、今年はいつもの年より映画をたくさん観て、本を読む時間も出来ました。

しかし、このホームページの本業である音楽のアルバム造りは、 全く進行していません。

一応それで世界征服は目指しますが、

まだまだ迷うものがあり、 バカに成りきれていない感覚があります。

商業的成功は別のもので、全く気にしていません。

商業的成功・お金儲けに囚われてしまうと本当にやりたいことが出来なくなります。

商品としての価値を上げるか?芸術作品としての価値を上げるか?

当然答えは芸術作品としての価値を上げることを目指します!

しかし、それらは紙一重の場合もあります。 結果はどうあれ、やりたいようにやった方が後悔しません。

人の評価など、どうでもいいです。自分には自分のアイデンティティーがあります。

今向き合っているのは自分自身!!遠くない将来、ひとつの答えは出る。

いや、もう出ているが、今、ここには書かない。

どちらにしても、楽ではない!!

 

つい最近のことですが、酒田灯台の展望台に登り、晴れ渡った、空と海と港の景色を楽しんでいると、

とんでもないものが西の空からやって着ました。 F−15E ストライク イーグル!!

アメリカ空軍の攻撃爆撃機です。 同機は低空で酒田市の北港地区に飛来し、灯台の前に差し掛かったとき、

爆音と共に高度を上げて鳥海山の向こうの、青森県のアメリカ空軍三沢基地方面に

飛び去って行きました。 そういえば、1988年のソウル・オリンピックの前日、以前勤めていた会社の帰宅途中、西の空から

F−14 トム キャット!!

アメリカ海軍空母艦載機が酒田市内を超低空で飛行し、拙者の頭上を通過して、

東の空に飛び去って行きました。このあたりは普段からそんな航空機が飛ぶ場所ではありません。

何も起こっていなければいいけど・・・・・・・・

 

 

今年は既にいろいろと書いておりますが、思うところがあり、

このあたりの山や海岸、神社と仏閣を歩き廻る廻峰行に行っていました。

いろいろな場所を廻って気づいたのですが、このあたりは昔からの穀倉地帯であったため、

食べ物の神様、稲荷神社保食大神

祀っているところが多かったです。

今年は冷たい夏による米の不作・・・・・・・・・

輸入食材に溢れた現在とは違い、国内における食料の自給自足が当たり前だった昔の人達は、

いかに稲や農作物の実りと食べ物を大切にしていたか、

感じることが出来ました。

今、日本はある一部の業種しか元気はありません。

こんな時こそ、もう一度足元を見つめ直すいい機会かも知れない。 今は将来に向けて、間違ったものを作らないように、

答えを出すのに、急ぐ必要はない。

ゆっくりと行きましょう。

ゆっくりと。


★11月7日 更新

 

星野監督!!

久々に日本のプロ野球を観て心の底から楽しいと思いました。

お疲れ様でした!!

ゆっくり休んだら、次の目標に向けて頑張りましょう!!!

 

928日、TBSのドラマさとうきび畑の唄鑑賞しました。

舞台は第二次世界大戦中、日本国内で唯一地上戦が行われた沖縄。

注目していた上戸彩さんオダギリジョー氏の絡みですが、

青く・ぎこちなく・初々しく、悲しかったです。

視点を変えれば、二人で迫り来るアメリカ軍を丘の上から見るシーンがありました。

あずみ最上美女丸が手を組めば、1945年当時のアメリカ軍機動部隊の一個師団ぐらいだったら、

一時間で壊滅できるやろ! とツッコミを入れたくたくなりました。

(作品と時代が違う!!

真面目な方向に話を戻して、

那覇市内で幸せな家庭と写真館を営む、明るい良い男を演じていた明石家さんま氏ですが、

ドラマが進行し、戦争の厳しい状況になって行くにつれて、

その明るさがだんだん悲しいものとなって行きました。

しかしそんな中でも、明るく振舞い、正しい判断力を持ち、

生き抜こうという意思を持つ人物は、 本当に強い男だと感じました。

もし今、このあたりで拙者がこんな状況になってしまったらどうなるんだろうと?

真面目に考えてしまいました・・・・・・・・。

 

104日以降、2001年秋から楽しみにしていた日本映画U

既に2回観に行きました。

初回はなるべく予備知識を入れずに感覚的に楽しもうと思い、

インターネット・テレビ・ラジオ・雑誌からの情報を遮断し鑑賞したら、

感覚的にビンビン来ました!!

今回の作品の主題は陰陽道出雲神話。

共に日本の文化に深く根差したものです。

最も印象的だったシーンでは、

久しぶりに映画を観て涙を流しました。

そのシーンのは、このホームページでは秘密にしておきます。

レギュラー陣の

野村萬斎氏、伊藤英明氏、今井絵理子さん。

ゲスト陣の

中井貴一氏、深田恭子さん、市原隼人氏、古手川祐子さん。

それぞれの絡み、そして滝田洋二郎氏の監督作業、夢枕獏氏の脚本をはじめ、

スタッフの方々の熱意が感じられました。

そういえば今回、うおるふぃーのフェバリットヒストリー2001で予想していた宝生舞さん

出演はありませんでした。 残念です!これからも宝生さんを応援します!!

この予想は外してしまったので多くは語りませんが、日本の出版社「彩図社」からこの春出版された書物で、

西孝二郎氏著作の安倍晴明と聖徳太子の秘密に興味深いことが記されてありました。

 

このホームページは、

何の変哲のない無い?????

ホームページですが、

隠し呪文「臨兵闘者皆陣烈在前

隠しリンク「 隠し画像「

様々な暗号がちりばめられており、

マインドコントロールの攻防一体の仕掛けに溢れ、

知らないうちに忍者屋敷のようになってしまいました。

10月26日、前回の更新で分かる奴には分かるように匂わせておききました通り。

セクシー!マッキング 

GOLD MAKI GOTO Concert tour 2003 Autumn

山形市に後藤真希さんのコンサートに行って参りました!!

彼女のコンサートへ出かけたのは、昨年夏のモーニング娘。時代に引き続き二度目です。

暗号化したとはいえ、コンサート行くことを予告しておいたので方違いを行い前日の25日に仙台市の風水ショップ

へ出かけ、酒田市内では手に入らない風水羅経盤などを購入し、 温泉に入って夕食を摂ってから、山形市の常宿に向かい、

一泊しました。

翌朝、19時の2回目の開演まで時間がありすぎたので、山形市内を散策し、まだ行ったことのなかった

霞城セントラルに向かいました。 その日は11月1日の計量記念日のイベントが行われており、

係員に誘われてクイズに答えたら、落花生をもらいました。 鬼退治にはちょうどいい

と思いバッグに忍ばせ、その後、屋上の展望フロアから360度の晴天のパノラマを楽しみました。

15:00会場の山形市七日町の山形県民会館へ向かった。すでに1回目の公演の入場が始まっており、

2回目の開演までの間、駐車場・市街地を徘徊して時間を潰した。

18:002回目公演の入場時間。既にいろいろな奴らが集まっていた。

特に目立つのは、やはり昨年の夏スポーツランドSUGOであったモーニング娘のコンサートにも居た

サッカーチームのユニフォームを着たお祭り好きな奴ら!!

 拙者もその日は負けておらず、映画パイレーツ オブ ザ カリビアン?

アマデウス?風の18世紀のヨーロッパ風な衣装?で、

今回のポイントは、自作の小さいミラーボールが沢山付いたネックレス。

開門後、売店でパンフレット・オペラグラス購入後、開演ギリギリの時間までフロアで時間を潰し、着席した。

今回の席はサッカーのポジション位置で例えると、右サイドバック 最後尾で後方には100席ほどの空席が目立った。

右側にはサーファー風の若者達、左側には中澤裕子さんに似た子連れのオカン。

客層はやはりアイドルオタクのお祭り好きの若者と、親子連れが目立った。

19:0015分ほど遅れて開演し、1曲目愛のばかやろう

会場は既にフルスロットル状態で、

衣装もスパンコールで、露出度の高いセクシーな衣装だった。

右隣の若者は大人しかったが、左隣のオカンはノリノリで、肩が触れ合うたびに拙者に謝っていた。

拙者は宇宙海賊キャプテン・ハーロックのように、

腕組みをしたまま終始仁王立ちだった。

今回も大周天をしたら、の通りは良かった。しかし、ほんの少しだけ予想した通り、 を感じた。

その時、バッグの中の落花生の「気」を放ち、

彼女に取り憑いていた退治をした。

そして、彼女の「気」を読んで感じたことがあったが、今は、ここには書かないほうがいいだろう。

Shall We Loveが終わったあと、

ルーシーーーーーーーーーー!と叫んだ。

彼女は拙者の声を聞いた瞬間、ムッとしていた。(笑。) ルーシー後藤とは、

テレビ東京系放映のハローモーニングで彼女が演じているキャラクターです。

彼女にとってはあまり気に入らないキャラらしい。

しかし、彼女の固定概念を壊すには良いキャラだと思うんだけど・・・・・・

文麿様〜ぁと叫んだ方が良かったかな?

 彼女の家族の話、ゲストのメロン記念日との対談後、

メロン記念日が最新曲MIDARA 摩天楼などの2曲を披露した。

ラストナンバーは最新曲の抱いてよ!Please Go Onでは、

 Oh---- Yeah------!! I wanna be ○○○○○ on-----!!! to you-------!!!!

と、叫びたくなったが、英語とはいえ必死に堪えた。(英語でも公衆道徳的に許されない!)

アンコールは、彼女の主演映画の青春ばかちん料理塾のテーマソングスクランブル

その頃には、右隣のサーファー風の若者もノリノリとなっていた。

 知らないうちにコンサートは終わり、ステージから彼女はいなくなっていた。

会場では暫くの間、祭り好きな若者達が雄叫びを挙げていた。 会場を後にして今日はおとなしく帰ろう

思い山形市営駐車場の屋上に登った時、南の空には魚座で南中していた火星が輝いていた。

そういえば、メロン記念日の蠍座の斉藤さんを除く

柴田さん、村田さん、大谷さんは魚座!!

再びケダモノの血が燃え上がり、

カーステレオのMDに、映画TOP GUNのオリジナル・サウンド・トラックを入れてステルス4WD

ストライク・イーグルスクランブル発進した。

行きと帰りの2回バックステージゲートの通路を走行し、年甲斐もなく、

KNIGHT RIDER―――――――!!! 

と雄叫びを上げようとしたが、

重いステージ機材の鉄骨を搬出し、一生懸命働いている野郎の姿を見て

やめた。

その後、深夜の月山越えのハイウェイを走り抜け、要塞本部に帰還した。

一週間後、彼女が大阪で2回目の公演をしている時間、気の抜けた落花生を肴に、

このあたりの地酒純米本辛口・魔斬を飲みながら考えた。

本当のは拙者自身の中。そして誰の中にも住んでいる。

しかし、誰の中にも悪魔と同時に、も住んでいる。

だから人間なのだ。

だから愛しい 憎らしい ややこしい


914日 更新

この夏は久しぶりにここの更新は行わず、

リンクを貼らせていただいている方々の掲示板にも参加せず、

インターネットから遠い世界で暮らしていました。

今年の夏は予想通り太陽黒点の減少期の影響による冷たい夏でしたが、 今頃になって残暑が厳しいです。

この夏の音楽は、拙者から観ると力が無かったので、カーステレオのMDに

ツイスト・佐野元春氏、八神純子さん・アン・ルイスさんなどの

1970年代後半から1980年代前半の音楽を入れて、御護刀魔斬(マキリ)を持って大自然の中へドライブに出かけ、

奥羽山脈の雲の上の混浴の露天温泉でマイナスイオンを浴び、

近所の海で泳ぎ・潜り、ボディボードの上に乗りSall onしながら

太陽を浴びてマナを吸収しながら長い長い夏休みを楽しんでいました。

 今回うおるふぃーの写真館「自然」UPした写真は、この8月に一連の回峰行の

締めくくりとして登った日本の神様の一柱の月読命が祀られている

月山登山の帰りに立ち寄った戸沢村の温泉施設ぽんぽ館の花壇の向日葵です。

行ってみてください。

 

この2ヵ月半の間、世の中もいろいろと動いていたようで、

特に印象的だったのは、この8月27日、6万年に一度の

火星大接近がありました。

要塞本部の天文台からも、半月前から肉眼で観測できました。827日当日の火星は

汚れ無く、力強い、処女の血のような赤い光を放っていました。 火星とはいわずと知れた闘いの星です。

「ホロスコープ的に影響が出てくるのは恐らくこの2・3年以内でしょう。」と、言いたい所ですが、

この地球上で人類が文明を持ち始めてから戦争が無かった時はありません。

悲しいことに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

8月28日に幸運の星・木星獅子座から出て、来年の9月26日頃まで乙女座を運行します。

乙女座に木星が入ると、論争・コミュニケーションが活発となり、

潔癖症の人が増えるでしょう。

従って、吉凶が交錯する乙女座、そして射手座・魚座・双子座の方々は、

奇襲攻撃狙いの守備的布陣で臨機応変に臨んだほうがいいでしょう。

詳しい運勢の流れに個人差はありますが、 今年から個人名を挙げるのはやめます。 いろいろとありましたので・・・・・・・

9月30日以降、1999年8月18日を中心に度々発生していた

牡牛座・獅子座・蠍座・水瓶座に太陽系の惑星が集まり、

辻・十字路真ん中に地球を置いていた状態の

グランド・クロスの状態が終了します。

その影響のせいか世界各地で、戦争・テロ・国際紛争・拉致事件などなどが通常より多く発生し、 世界は混沌とした状況が続いていました。 今はいろいろと難しいかも知れませんが遠くない将来、

地球の10年後・20年後・100年後の、明るい未来を皆で語れる日が来ることを

祈ります。

そういえば1999年8月18日、

原子力エンジンを積んだ土星探査機カッシーニが、

地球の南米上空で行われたスイング・バイに成功してくれて良かった。

 

そしてこの夏は、日本のテレビドラマを沢山見ていました。

◇ウォーターボーイズ

この夏、ビーチに出かけると、子供たちや野郎どもが海の中でロケットジャンプ逆立ちなどをして、

シンクロナイズドスイミングの真似をしていました。

 これから男のシンクロナイズドスイミング普及してゆくでしょう。

外見は違いすぎるが、石垣祐磨氏が演じていた高原剛は、素のときのWolfgang Altair Ramboに似ている。

大輪の花火・向日葵のような彼らの演技・シンクロナイズドスイミングに、

忘れていたいろいろなものを感じてしまいました

◇ひと夏のパパへ

絶対にありえませんが、上戸彩さんや松浦亜弥さん

のような方が、 拙者のところに大阪から突然お父ちゃん!と言って来たら、

怖いです・・・・・・・・・・・・・・・・・。(ただ事では済まないだろうけど・・・・・)

ショーパブ・招き猫でのダンスシーン良かったです。

そういえばここで親子を演じている上戸彩さんと北村一輝氏は映画あずみでは敵同士でした!

そして、この秋放映の「さとうきび畑の唄」では、

上戸さんはあずみ殺しあっていたオダギリ・ジョー氏と、愛しあう役をするそうです。

楽しみ!

◇菊次郎とさき

子供の頃の拙者の家庭環境に似ています。だいぶ前の話になりますが、

親父と殴り合いの喧嘩をして初めて勝ってしまいました

ようやく勝ててうれしいと思う前に、 寂しかったです。

西島秀俊氏!映画マナに抱かれてに比べて弾けておりました。これから楽しみです。

陣内孝則氏!期待通りでした。そして映画での

THE ROCKERS復活オメデトウ!!

出来ることなら、オリジナルメンバーでの演奏も聴きたいです。 最近はアルバムリップサービスを聴きながら、

海岸通りをぶっ飛ばしています!!

Dr.コトー診療所

時任三郎氏・筧利夫氏・泉谷しげる氏が揃って出演しているなら見ないわけには行けません。

このドラマを見ていると、このホームページにも書いてある19993月の救急車事件を思い出してしまいました。

痛い・苦しい・悲しい・深い・難しい、

しかしとても人間的です。 限りなく普通に・・・・・

出演者の方々が演じている役は皆、それぞれ壁にぶち当たりながらも、必死に幸福に

向かうために努力している人間を表現しようとしていることが感じられました。

昔から何処の世界でもそうかも知れませんが、

今の日本は普通に生きて生活するのも大変な時代です。

STAND UP

出演者の方々がなかなかの粒揃いで個性的です。

やはり彼らの答えは童貞喪失でしょう。 答えの出し方はひとつではありませんが、

このドラマの中での答えは先送りされました。(急ぐ必要はありませんけど) いろいろな経験をして皆悩んで大人になります。

中には大人になることを拒否する奴もいるけれど、そんな奴もいないと世の中面白くありません!!

ひとつの価値観にまとめてしまうことは、

時代の偉い人の都合なんでしょうね。

 多くは語らないが、成宮寛貴氏とAKINAさんの関係が拙者の経験と重なった。

◇武蔵(Musashi)

最近の大河ドラマの中では珍しく、名のあるお偉い大名・殿様出世物語ではなく、

日本の戦国時代末期の普通に生きていた人達が、生き生きと表現されています。

宮本武蔵公(市川新之助氏)お通(米倉涼子さん)又八(堤真一氏)を中心に、様々な人々との

出会い・別れ・生き様が、渡瀬恒彦氏・松岡昌宏氏・哀川翔氏・宮沢りえさん・広末涼子さん・内山理名さん

らにより演じられていました。

特に注目していたのは江守徹氏が演じていたあかね屋絃三

一見怪しいオヤジでしたが、演じている姿を見ているうちに、

アメリカの西部劇の英雄ビリー・ザ・キッドと姿が重なりました。

首吊り台・磔台から笑いながら謳って死ねる人生も、悪くないと感じました。

しかし、それまでの過程が大変だけど・・・・・・

 

816日、山形県上山市のテーマパークLINA WORLDに、

ある方の絵画の展覧会があったので出かけてきました

今、その時購入してきたアートカレンダーの絵を見て感じたままに書きますが、その方の作品はアストラルトリップをして、少し離れた場所から自分を見つめている絵が多いです。 そして顔が無いです。

恐らくまだこの方は、本当の自分を見つけられず、慎重に観察しながら、本当の自分を探している状況にあるものと思われます。

使用している色彩はメロウでも、明るく鮮やかなものが多いので、常に前向きであろうというが感じられます。

会場にあったメッセージノートには、

やるときはやれ!それがラテン系だ!! 小さくまとまんなよ!!!

と、書いてきました。

やるときはやれ!それがラテン系だ!!

1986年のFIFAメキシコ・ワールドカップのときの日本のコメディアン木梨憲武氏が、アルゼンチン代表だった

D・マラドーナ氏のプレイを見た時の言葉だったと思います。

小さくまとまんなよ!!!

19934月から6月まで日本のフジテレビ系ドラマチャンスでの主人公・ロックスター本城裕二を演じていた

三上博史氏のセリフです。 この言葉の真の意味は自分に正直に生きろ!です。

 

今年の日本の夏は異常気象のため、このあたりではこれからの出来具合が心配ですが、これから果物・きのこ・イモ・栗が

うまい季節になります。 今、このあたりの名物の日向川沿いの刈屋のが一番うまいです。

遠くない将来、山形市に名物の芋煮汁おでん食べに行ってきます。 デザートは緑の果実です。

こんなことホームページに書いたら、も来て賑やかなパーティになるかな?楽しみ!!

 

具体的に書くのは控えるが、拙者の作品に宿したマナにより、

拙者自身の意思とは関係なく 拙者の作品がとなって生きた奴、拙者の作品がとなって怪我をした奴、

いろいろ居るようだ。

知らないうちにこのホームページの周りには、ひとつでも触れたら全てが誘爆してしまう

対戦車地雷・対艦機雷・クラスター爆弾のようなパンドラの箱

たくさん積み上げられている。 このパンドラの箱を開けばビリー・ザ・キッドになれるかもしれないけど、

それ以前に、西洋の童話の狼少年にはなりたくないので、

自分から開くことはない。とりあえず流れに身を任せる。

要らないなら出ない!必要ならば出る!!

今の所は、秘すれば!!

ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ


前祝で

2003年度日本プロフェッショナルベースボールセントラルリーグ

阪神タイガース

優勝おめでとうございます!!


★7月1日 更新

今回は久しぶりにここだけのUPとします。

今年に入ってから、沢山の書籍や映画を鑑賞しています。

このあたりや日本の芸術・歴史・文化・宗教・武術関連の書籍を30冊ほど読み、

映画は、日本の映画を中心に全部で10本ぐらい鑑賞しました。

その中で、2回鑑賞し、原作本を購入したあずみマナに抱かれてを紹介します。

あずみはこの映画を観る以前まで原作本を読んだことが無く、

映画館前の看板の上戸彩さんのくの一・女忍者

姿に魅せられて鑑賞しました。

(拙者の守護女神様の「くの一」姿もいい!!・真言はややこしや〜ややこしや!!

はじめは話のネタにと思って鑑賞したのですが、その日に観たメインの映画を

喰らい尽くしました!!

内容・ストーリーは、サーチエンジンであずみAZUMIと入力して検索してください。

感想を語らせていただきますと。

様々な特殊効果を駆使し、上戸さん自身もスタントマンを使用しないで撮影した

生の感覚が生きていました!!

共演者の方々も、強力なオーラを持った方々で、この夏、日本の各テレビ局のドラマにも出演していますので、

個々に注目しています。

さすがに世界各国から、日本映画には珍しく向こうから多くの上映の依頼があったことはうなずけます。

特に印象的シーンは沢山ありすぎますが、敢えてひとつだけ選ぶと。

旅の途中、友人となった旅芸人の一座の娘・やえ(岡本綾さん)に言われて、

深い森の湖の畔で一晩だけ、着物を着て、化粧をし、唇に紅を注し、

当時の日本の普通の女性の姿にあずみは変身しました。

翌朝目覚めたら、

ランボー並の特殊戦闘訓練を受けていたあずみが居るとは知らずに、

山賊が襲ってきました。

山賊たちは、あずみにより返り討ちに逢い、静かな朝の湖畔はに染まりました。

その時の拙者だけの感想で御座るがLUNATIC LOVE!!と感じました。

あずみのDVDの発売と、原作では真っ先に死んでしまったが、映画では生き残っている仲間のながら・石垣佑磨氏、そして敵もまだ存在しているのであずみ2も待ち遠しい!!

もうすでに、小山ゆう氏原作のオリジナルコミックスも29巻出ているので、

「007」と「寅さん」のようなシリーズ化も楽しみだ!!

監督の北村龍平氏も若いし。

常々思っていたんだけど、日本のチャンバラ・時代劇映画は、

アメリカの「西部劇」、香港の「カンフー映画」に

匹敵するインパクトを持っております!!!

時間が出来たら拙者も、チャンバラ・時代劇の台本か小説書く!

もう題材にする人物は決めている!!

そういえば上戸彩さんも1985年9月14日生まれで、

故・美空ひばりさん、山口百恵さん、スピードのhiro(島袋寛子さん)

内山理名さんと同じく、土曜日生まれの7日関連の日生まれでした。

カッパーラの理論を応用し予測すると、

彼女も遠くない将来、面白いことをやってくれそうです!!!

 

 

マナに抱かれてはタイトルを聴いた時からなんとなく魅せられていた

テンプラ・ハワイアン映画です。

テンプラ・ハワイアンとは、イタリア人が作った西部劇はマカロニ・ウエスタン。

この映画は、日本人が作ったハワイの映画なので、勝手にテンプラ・ハワイアンとジャンル付けしました。

この映画の内容とストーリーの説明もサーチエンジンで、

マナに抱かれて・マナと入力して検索してください。

MANA・マナとは、全てのものに宿る

超自然的な力・エネルギー・魂・などを意味するハワイの言葉で、

西洋の物質文明東洋の精神文明とも一線を画した

ポリネシアの島々の独自の文化の感覚で、

個人よりも魂の繋がりに高い価値観を持つ、

ポリネシアの人々の世界観人生観を象徴した言葉です。

例えば、自分の中にあるマナと、誰かが持っているマナが、満たされて引かれ合えば出会うことができ、

全ての物事がうまく行き、想像以上の成果を得ることが出来て、全てが満たされる。

しかし、お互いにマナが満たされなければ、物事はうまく行かず、お互いに出会うことは出来ず、

共に居た者達は別れてしまう。

マナの繋がりは、人と人だけではなく物質・土地・芸術作品にも当てはまります。

この物語は、主人公の渚(川原亜矢子さん)が持っていた一枚のパレオが、

そのパレオのマナが描かれた土地へと渚を導き、その土地、その土地に住む人々の中に溶け込んでゆくという物語でした。

誰でもそんな旅立ち・出会い・経験をしたことがあるでしょう?

少し急ぎ気味に生きているなと感じたら、この映画を観ると良いでしょう。映画の中の景色だけでなく、カイ(蟹江敬三氏)が作る料理もおいしそうです。

そして、渚を導いたパレオと、

カイの創作料理「夢と希望のスープ」の物語に感動しました。

この映画を観たらハワイに行きたくなりました。

2001年の正月行った時はオアフ島だけだったけど、

今度はハワイ島に行って、キラウエア火山も見てみたい!

そして何よりハワイのマナを感じたい!!

しかしその前に、今はここの夏を楽しもう!!

このあたりにもマナはある!!!

あなたの住んでいる場所にも、

あなたの中にも、マナはあります。


6月1日 更新

 

ふじのはな

あさつゆおちて

はれわたる

うすむらさきの

かをりほのかに

 

 

この歌は、先日ドライブに行ってきた秋田市・男鹿半島への行中に詠んだ歌です。

この歌を詠んだ時は、藤の花が盛りでした。

最近のある日本のヒット曲にもあるように、拙者を含めた日本人は、花鳥風月の芸術作品を創作する際、

どうしても紫式部の時代に完成したからどうしても抜けられない。

皆、そこに安らぎを求めてしまうんだろうな。

それだけでも様々な表現が出来るのだから、日本の文化は深いです。

芸術の分野で和歌だけを探求しても、一生かかっても終わらないだろうな。

 

 

今回のUPでは、モーニング娘。の保田圭さんの卒業に伴い、

音楽リンク集・日本の「Good Morning」の

文章を変更いたしましたので、お知らせしておきます。

彼女もスサノオ命の子孫、純粋な日本人なら珍しくないが、カッパーラの理論で説明すると、

彼女は土曜日生まれ。これからが楽しみです。ボーカリストとして。

 

 

 

あれから季節が良くなり廻峰行、山歩きをすることが日課となりました。

知らないうちに要塞本部周辺から、

鳥海山・日向川源流地帯・湯殿山・善宝寺周辺などを、

行者杖・リック・カメラを持って行き、山中深く分け入り、

自然のを感じていました。

このあたりでは菜の花が咲く頃から、アカシアの花が咲く頃までの間が山歩きには最高の季節です。

この1ヶ月程の廻峰行で沢山の草花の写真が撮れました。

これらの写真は遠くない将来、音楽のアルバムと共にリリースを計画している写真集で公開する計画です。

お楽しみに!!

 

 

 

しかし、自然の中に分け入ることはよいことばかりではありません。

闇雲にやぶの中に分け入ると

毒蛇に咬まれたり・毒虫に刺されたり

ウルシにかぶれたりします

最近では、具体的に書くのは控えますが日本の国家安全保障上危険な場所もあります。そして、水辺や神社・仏閣の近所では様々な蠢いているのでご用心!!

初心者の方々は、出来ることなら自然の中に分け入る時は、

単独行動は控えたほうがいいでしょう。

 

 

 

今回は、このあたりの廻峰行のメッカ羽黒山の画像を

うおるふぃーの写真館・近所にUPしましたので行って観て下さい。

そして今回の羽黒山廻峰行記ですが、

短編小説にするか迷いました。

内容がこのあたりので伝承されている能除仙の伝説も含まれるので、

著作権は関係ないとして、オリジナルの話の割合が低いので、

ここに書かせていただきます。


◆羽黒山廻峰行記◆

 

 

5月の始めのある月曜日、雪解けと花粉症の季節が終わったのを見計らい、以前から立てていた計画を実行した。

「羽黒山廻峰行」

このホームページのプロフィールでは、「宗教には興味が無い!これからも興味が無い!!」と書いているが、宗教に関しては、察しの通り全く無知な訳ではない。世界中の各宗教の聖職者・僧侶ほどではないが、むしろ日本国内では人並みより詳しいかもしれない。(これが一番危ないかな?とにかく〇〇教信者なんて縛られるのは嫌だ! 自由でありたい!!)大阪の大学4回生の時、建築学科の先輩に誘われて、某教系の宗教団体の地区集会場に行き、そこの地区長とディベートとなり、その集会場を壊滅させた経験があります。彼らは20世紀中の日本の学校教育の価値観を柱に、私をマインドコントロールしようとしたのが大きな間違いでしょう。今もそうですが、そんな安っぽい価値観など信じてはいません。

本題に戻って。朝8時、始めに山形県鶴岡市由良海岸にある「白山島」に向かい、そこの山腹と、急傾斜の石段の上にある山頂の神社を参拝し、参拝後、山頂でいつものように「気」を感じていた。やはり、ここの「気」も特殊なものがありますので、取り込むときは注意!

羽黒山廻峰行記の話をする際、語って置かなければならない歴史上の人物がいます。この羽黒山で、羽黒修験道を開山した

「能除仙」。

能除仙は、西暦500年代後半から、西暦600年代にかけて実在した人物で、第32代崇峻天皇の第3皇子で「蜂子皇子」と呼ばれておりました。日本史に大きな足跡を残し、この3月19日に拙者自身墓参りに出かけた聖徳太子の従兄弟に当たる人物です。彼らは共に古代の日本で、中国と朝鮮半島から伝来した最新のテクノロジーであった仏教と道教などを学んでいました。ある日、蜂子皇子の父親崇峻天皇が、当時の実力者の蘇我馬子に暗殺され、身の危険を感じ、聖徳太子の勧めで大和の国(奈良県)の明日香の都を脱出し、丹後の国(京都府)の由良海岸から海路日本海を北上しました。対馬海流に乗りながら数日間漂流していると、出羽の国(山形県)の由良海岸に差し掛かったとき、8人の乙女達が歌い舞いながら、沖を漂流していた蜂子皇子を海岸へ誘いました。蜂子皇子はそこで長旅の疲れを癒した後、羽黒山方面に神気を感じ、八咫鳥(三本足のカラス)に導かれ山頂を目指しました。蜂子皇子は、羽黒山頂に拠点を定め、以降「能除」と改名し、神道・仏教・道教・土着の山岳信仰などをベースとした「羽黒修験道」の開祖となりました。1,400年経った現在でも、多くの人々に信仰されています。

その後俺は、能除仙が辿った道を羽黒山に向かい、鶴岡市内を抜けて、赤川を渡り、大鳥居を潜って、山麓の宿坊街を通り、自動車で約30分程で羽黒山山門に到着した。ここに来るたび思うのだが、この山門は何かに似ている。日本の漫画家、宮下あきら氏の作品「魁・男塾」の「驚羅大四凶殺」の山門に似ています。驚羅大四凶殺とは、富士山を舞台に2チーム各4人の男たちが、鉄の大玉を山麓から山頂まで転がし、一・二・三・四の凶で1対1で戦い、山頂まで鉄の玉を転がして行き、山頂の第四の凶で勝利したチームの勝ち、というものです。しかし、ここは羽黒山。驚羅大四凶殺とは違ったものが、この山門から山頂にかけて繰り広げられていました。それは、「輪廻転生六道巡り」。それでは、これから黄泉の世界にご案内しましょう。

山門を潜ると、昼でも薄暗く鬱蒼と生茂る杉木立と、山頂まで連なる2,446段の石段が目の前に現れます。始めは下り、頂上までの石段の参道沿いに点在する神社の祠の始めは「根切神社」。ここが現世との今生の別れの場となるのでしょう。さらに下ると小川が流れています。ここが「三途の川」となるのでしょうか?岩?で出来た石橋を渡った三途の川の向こうには、六道の内の「地獄」を表現した場所でしょう。そこの祠の後ろには滝があり、「閻魔大王」ではなく「不動明王」が祭られていました。どちらにしても嘘はつけません。現世で悪いことをしていた人達は罰せられます。水の流れの激しい季節には、もっと荒々しい流れとなるでしょう。

参道に戻ると、ここからが「登り」の始まりです。しかし、始めは穏やかです。穏やかな登りを少し進んでゆくと、左側に突如巨大な建造物が、杉木立の中から姿を現します。「五重塔」ここは「畜生」を表現した場所でしょう。乱立する杉木立の中で一際目立ち、天を突く風貌は、動物達の生存競争、「生き抜こう」という強い意志、未来に子孫を残そうという「本能」を表現したものでしょう。この五重塔は、平安時代の武将・平将門公の建立のものと伝えられています。

五重塔を通り過ぎると、いよいよここからが「登り」の本番です。ここから石段は急斜面となり、頂上まで連なります。その光景は、登っても登っても終わりが見えない。食べても食べても満腹にならない。果てしなく食べ物・欲望を求め続ける「餓鬼」が表現されています。そして、空を見上げると空は無く、杉木立の枝が空中で交差し日光を奪い合い、地下では杉の根がお互いに絡み合い栄養を奪い合い戦い続ける「修羅」が表現されています。こちらの闘いも果てしなく続きます。

そして登りの時、唯一休んだ場所「埴山姫神社」。埴山姫とは、日本の神話を記した「古事記」の中に登場する女神「イザナミの命」が最後に生んだ火の神「カグヅチ」の首を、男神「イザナギ」が刀で切った時、首が落ちて焼けた場所の土から生まれた女神様です。埴山姫は「陶芸の女神様」でもあります。人類が「器」を造り使い始めた頃、この頃から農耕などが始まり

「人間」的な社会の形成が始まりました。「便利」「快適」「安全」を求めた創造力は追求され続け、それに伴う人間の感情「喜怒哀楽」の物語は、人類の営みが終わる時まで続くでしょう。

そして山頂の「天界」。ここには「本殿」、羽黒修験道の開祖「能除仙」を祭った「蜂子神社」、「博物館」「お土産物屋」があります。実は山門からここまで登ってくることが出来る「一部有料自動車道」もあります。ここは「聖域」であるのと同時に、観光地化された「俗界」でもあります。聖域の本殿には、羽黒山神社の他に、冬期間に雪が深くなると参拝不能となる月山・湯殿山の二神社の「三社合祭殿」が祀られています。輪廻転生六道巡りはここまでで、ここから先の「月山」・「湯殿山」に至る道は修験者の道で、ここからは「解脱」「神」へと至る道になります。そしてこれらの道は、江戸時代の俳人松尾芭蕉も旅した道です。ここから先も険しいながら観光地化されておりますので、気が向いたら訪ねてみてはいかがでしょうか。月山は「広大さ」を、湯殿山は「虚空」を感じる場所でした。

人間は人生を歩み始めた時から「呪」束縛の中で生きなければならない。しかし、どんな「呪」も、宇宙誕生の時から始まった膨大な時の流れの中では、「空」である。


 

羽黒山廻峰行記・いかがでしたでしょうか?

はっきり言って出羽三山能除仙、今回は割愛した松尾芭蕉などをはじめとする

伝説・歴史を詳しく書いてしまうと、

一冊の本どころか文学大全集が出来てしまうほど深い場所です

ここからは少し、番外編を記して置きます。

 山頂での参拝後、お土産物屋で食べた「玉こんにゃく」と、下りの時「二の坂」の途中にある茶屋で食べた「きな粉餅」と「抹茶」。美味かったです!そして唯一、この茶屋からは参道中杉木立の緑から「庄内平野」を展望できます。登りの時疲れたら無理せず、参道中に点在する祠や、この茶屋で休んで水分を補給するといいでしょう。茶屋を出て暫く降りて行くと、観光客の白人男性のグループと会いました。登山者のお約束通り「こんにちは!」と、挨拶し合いました。ここも知らないうちに国際的な観光地となったようです。確か山頂付近には、英語表記の看板・パンフレットなどが多く設置されていました。再び五重塔付近に着くと、山頂付近に次いでこのあたりまでが日本全国から来る観光客が多かったです。自動車が乗り入れられる山頂と、そんなに坂がきつくない五重塔までが老人や子供でも気軽に来ることが出来る場所です。今回のように山門から山頂まで本格的に登るのであれば、山門前・山頂の土産物屋、参道の茶屋で売っている「行者杖」と、水分補給のための「水筒」は忘れずに!修行・願掛けなどの目的は無くても、ただ山門から山頂に向けて参拝に行くと、肉体的にも、精神的にも、余計なものは削ぎ落とされ爽快な気分になります。今回の「羽黒山廻峰行」で3キロ痩せました。


★4月13日 更新

はじめに、今年の1月4日に逝去した芸術家・ロヨラ氏が、

ドラマーとして所属していたロックンロールバンド「フューリーズ」では、

(現メンバーはベースのテルツァギ氏、ギター・ボーカルのカダフィー氏)

2003年4月26日土曜日午後6時より、滋賀県甲賀郡水口町の水口神社裏にある

「水口碧水ホール」においてロヨラ氏の追悼ライブ実施します。

当日は、ロヨラ氏が生前演奏していた音楽演奏をはじめ、

彼の絵画・オブジェ・芸術作品の展示などが企画されています。

ロヨラ氏に関心を持たれた方々、お時間の許される方々は、

足を運んでみてください。

 

 

 

いままでゴタゴタしていて説明するのを忘れていましたが、

昨年の10月6日にUPした小説 Mir Spasibo(ミール・スパシーバ)

の意味ですが、ロシア語で、平和 ありがとうです。

あらゆる意味で、一日も早く、そう言える日が来ることを祈ります。

 

 

 

そして今回は、うおるふぃーのNovel うおるふぃーの写真館

旅日記・関西巡礼2003・春

UPしました。行って見て下さい。

本文にも書いてありますが、今回は安倍晴明神社はじめほぼ一週間かけていろいろ関西方面を回って来ました。

大阪には学生時代住んでいましたので、土地勘が有りすぎ欲が出て、一週間かけても廻り足りない感覚がありました。

今回廻れなかったところは次回のお楽しみにしておこう。

 

 

 

毎年雪が融けて春になると、観葉植物の手入れを始めます。昨年は、要塞本部の大規模改造のため、

泣いて馬蜀を切る思いで、この10年近く大切に育ててきたジャスミンをはじめ、

多くの観葉植物を処分してしまいました。

そしてここ1ヶ月また徐々に増え始め、要塞本部の(吉野桜)も4月1日に開花し、

露地ものよりも20日も早く咲き始め、この文章を書いている4月12日現在でまだ半分以上の花が残っています。

当然すでに花見をしました。

ここ数年聴き始めた雅楽をかけながら瑠璃色の器濁り酒を注いで。

肴は焙った烏賊と豆で質素に、薄紅色の花とほのかな香りを楽しみました。

これから露地ものの開花も楽しみです。

そっちの花見は毎年の事ながら、只事では済まないだろうな・・・・・

ややこしや〜・ややこしや!!

 

 

 

最近は再び、異種格闘技戦にはまってます。

異種格闘技戦とは言っても、芸術界の話で、拙者の音楽のオリジナル一瞬の女神を創った時のように、

譜面台の上にエロ本を載せて、

そこからイメージを受けて別のジャンルの新しい作品を創造する技法です。

先日、日本のテレビ局でジャズミュージシャン達が、世界の名作の絵画を前に演奏していたのが記憶に新しいです。

拙者の場合、中学生の頃からその能力を身に付け、今までたくさんの作品を創造してきました。例えば、

音楽から言葉・詩を感じ、詩からビジョン・絵画を感じ、絵画から味・料理を感じ、

料理から音・音楽を感じる。

感じる!それが基本です!!

あとの表現の媒体は自由です。やってみて下さい。

そういえばロヨラ氏も、この異種格闘技戦の達人でした。


37日更新

春です!花粉症です!!

濁り酒飲んでいますか〜???

昨年の暮れ、イネゲノム遺伝子の解明により、米穀食品の花粉症への効能が報告され、

拙者が2002年10月6日の更新で発言したことが、医学的に証明されました。

今後、もっと精度の高い治療法が確立されることを望みます。

 

前回の更新で予告したロヨラ氏の追悼作品

小説・HERAT IS GOLD「ロヨラ」ある芸術家の青春UPしました。

この作品は、ロヨラ氏が拙者と過ごしていた大阪の南河内の大学での3年間の音楽活動を中心とした主な出来事を綴った作品です。

今回はこのような形でまとめましたが、前作ミール・スパシーバと同じく、書ききれないところがたくさんありました。

ロヨラ氏と過ごした3年間を文章にまとめてみると、膨大なものとなりました。

中には今は書けないもの、秘密にして置いた方が良いものなどなどたくさんありました。

例えば、ロヨラ氏が残した言葉、芸術批評・人間関係、

そして恋愛ストーリーなどです。

こちらの方はこれから、ロヨラ氏と関わりのあった方々には機会がありましたら、

それらの出来事を語りましょう。

そして今回、ロヨラ氏と生前交流があった方々、

音楽(日本)リンクにTerzaghi殿のホームページI’m Terzaghi

学問リンクに首領殿のホームページPrinciple Evil

Shio殿のホームページMagdaleneへのリンクを貼らせていただきましたので、

行ってみてください!!

 

 

2月1日の前回の更新終了直後。滝田洋二郎監督の映画壬生義士伝、

野村萬斎氏の狂言を楽しむ会を鑑賞してきました。

最近、知らないうちに彼らの作品を鑑賞しています。

壬生義士伝は、拙者も壬生狼と名乗っている手前、映画化される以前に浅田次郎氏の原作も読んでいました。

ここ数年の日本国内の風潮ですが、世界的に混迷の時代の今、日本人は打開策とアイデンティティーを求めて、

日本の幕末・戦国時代の歴史に学ぼうという風潮が強いようです。

拙者自身、最近映画では凶気の桜、たそがれ清兵衛、

そして、NHKの大河ドラマでは北条時宗、利家とまつ、武蔵MUSASHIを観ています。

(「壬生義士伝」で吉村貫一郎、「武蔵MUSASHI」で柳生宗矩氏を演じている

中井貴一氏の人格の変わり方は凄い!!)

元寇・戦国時代・幕末・現代、それぞれ時代は違っていても、歴史は螺旋階段のように同じ事が繰り返されているように

感じます。

そこから見いだせる答えは、的確な判断、行動を行い、どんな局面であっても生き抜こう!!という

意志を持ち続けることです。

当然、的確な判断・行動を行う前には誰でも迷うこともあります。そこでの大きな判断材料として、

あとで後悔しない方向に向かうことが大切です。

そうすれば、その局面に応じて進むべき道が見えてきます。

それでも「迷い」が生じたら、ロヨラ氏も「生きること」で書いていましたが、

究極のバカを目指して生きるのもいいかも知れない。

 

 

そして狂言を楽しむ会ですが、壬生狼の仕事でお世話になっていたお役人様方が沢山来ていました。

どの国の古典芸能にも言える事ですが、特に日本の能・狂言は鑑賞したことのない方々から観るとお高いイメージが

あります。

しかし、古典・アバンギャルド・ポップの隔たりなく、楽しむ事にあります。

従って伝統的な古典芸能だからといって難しく考える事はありません。

野村萬斎氏の解説後に公演された萩大名、棒縛は、ハッキリ言ってコントでした。

適切な表現か迷いますが、狂言はを大切にしており、コントは流れを大切にしているように感じます。

萬斎氏が「太郎冠者」を演じていた棒縛の公演中、大周天を行いましたが、奥田民生氏の時のようにうまく行きませんでした。

その答えは、萬斎氏の著書狂言サイボーグに記されていました。

この秋公開予定の映画「陰陽師2」楽しみにしています。

 

 

まだまだ油断できませんが、今年の酒田市周辺は、雪が少なかったです。

太陽黒点の減少期に入ったためだと思われます。

2000年が太陽黒点の最大期でしたので、従ってこれから数年間、

日本国内においては冷たい夏に注意しなければいけないものと思われます。

それに伴い、エルニーニョ現象も活発化すると予想されますので、

体調・農作物の管理・異常気象への注意をした方がいいでしょう。

まだまだ研究段階ですが、2000年10月6日にUPした太陽黒点の増減が地球に及ぼす影響、

2002年1月7日と8月19日にUPした木星占い、そしてすでにメジャーとなっている0学占い。

11年から12年の周期で巡る、この三つの理論の関連性を研究すると、

面白いことが分かってくるかも知れませんね。ほな、また。


21日更新

知らないうちにこのホームページも、開設4周年を迎えました!

掲示板も開設せずゆっくりと遣ってきましたが、改めて読み直して観ると、

書かなかった事も数多くありますが・・・いろいろな事がありすぎました。

これからもいろいろな事があるでしょう。ヨロシク!!

 

今回の更新では、「うおるふぃーのフェバリットヒストリー」の改造と、昨年の暮れに、親戚・友人系のリンクの

ナリヒデ氏のホームページ「センチメンタル・サンフラワー」が閉鎖しました。

今回の更新で削除しましたのでお知らせしておきます。

ナリヒデ殿、また新しいホームページを立ち上げましたらヨロシク!

 

そして今回は、悲しいお知らせをしなければいけません。

親戚・友人リンクの「RUハンター・ミツルギ」、

料理リンクの「ロヨラのパン」の管理人、K.T氏が2003年1月4日未明、

「逝去」しました。享年37歳。

彼とは、ロサンゼルスでオリンピックがあった年からの友人で、大阪の学生時代、所属していたJAZZ研究会で、

共に2つのバンドに所属していました。彼は、天才的な芸術家でドラマー、デザイナー、料理人、哲学者、

武道家であり、そして「良い漢(おとこ)」でした。

 

彼との思い出を語り始めたら話は尽きませんが、ひとつだけ思い出を語らせていただきます。

彼は拙者に負けず劣らずの「傾奇者」で、拙者が「パンクス」の格好で授業を受けていた隣で、

(当時、拙者の通っていた学校では、学生達がパンクス・ヘビメタのファッションで授業を受ける光景は珍しく

なかった!!

「月光仮面」のコスプレで授業を受けていました!!それには拙者も度肝を抜かれました。

教壇で教鞭を振るっていた教授陣も驚いていましたが、周りが周りだけに、平然を装い講義を進めていました。

しかし、拙者と同じく、外見は「傾奇者」でも、中身は「真面目」で、高度な知能と常識に囚われない発想の持ち主

でした。

それは、彼のホームページをご覧いただくと理解できるでしょう。

 

彼と最後にネット上で交わした会話は、彼の掲示板の11日掲載文で、

相変わらずのバカ話と、日本の古典芸能の話でした。

そして、彼が亡くなったと思われる時、直感的に書いた詩があります。

タイトルは「歩きだそう」

内容の紹介は様々な問題が解決しない限り行いませんが、彼のご家族の方々に書いた手紙の中に添えました。

気持ちの整理が着いたら音楽を付けて、現在製作中のアルバムに入れる予定です。

 

今はまだ、気持ちの整理がつきませんので着手しませんが、遠くない将来、彼のホームページにリンクされている方々

と連携を取りながら、K.T氏の追悼ページを作成します。

したがって今回の更新では、K.T氏に弔意を表するために、いつも行っている文字と文章の誇張及びブリンクは

行いませんので、ご了承願います。

心よりK.T氏のご冥福を祈り申し上げます。

 

 

そして話題が古くならないうちに取り上げておきますが、

1月15日酒田市民会館で行われた「奥田民生氏のコンサートツアーLive E 0203」に行って来ました。

(拙者が奥田氏のコンサートに行ったのは、「ユニコーン」時代の1988年の以来2回目です。)

この話はチケット購入時からしなければいけないでしょう。

2002年10月上旬のある日、いつものように「壬生狼」の仕事で遊佐町役場に取材に出かけました。

2階へ上る階段の踊り場に差し掛かったところで、「北斗の拳」のケンシロウ並の「気」を感じました。

そこには、彼のコンサートのポスターが貼られていました。

汗を拭いて、涙拭いて、厳しい冬の酒田市までわざわざ来てくれるんだったら行こう!というノリで、

10月27日酒田市内の畠山楽器店に8時30分から並びました。

チケットの発売開始は10時、既に拙者の前には10人程並んでおり、あとから遣ってきて拙者の隣に並んだ初対面の

鶴岡市のK氏と、音楽談議に花を咲かせていると、チケットが発売が開始された。

ここには最終的に50人ほど並び、顔見知りの店員の方に話を聴くと、酒田市情報センターには

1,      500人程並んでいたそうだったという情報を耳して、選択は間違ってなかった!と

K氏と小さくガッツポーズをした。

そして、チケットを手に入れてK氏と拙者は会場での再開を誓った。

 

年が明けて1月15日、午後5時定時で仕事を終えて酒田市民会館に向かった。

市内のラーメン屋で夕食後市街地をぶらつき、18時15分市民会館の入場の列に並んだ。

既に長蛇の列が出来上がっており、冷たい風が吹きすさぶ中、皆開場を待った。

開場後グッズの販売コーナーに向かい、お約束通りのパンフレットなどを購入し、シートに向かった。

(パンフレットの中蓋に「’02の〜・’03は〜」と書いてありました。何かの暗号でしょうか?)

会場は満員御礼、拙者のシートの位置は最前のブロックの最後尾の真ん中だった。

サッカーのポディションで言うと攻撃的ミッドフィールダー、司令塔の位置だった。

そして開演、幕が開いて奥田氏に照明が当たった瞬間、度肝を抜かれた。

なんと、「その時の拙者と同じ格好で青緑色のスーツ」で、一曲目「俺は知ってるぜ」でショーは始まった。

 

バンドの編成はパーカッション&トランペットのHiderow氏、ドラムのTakashi Furuta氏、

ベースのTakamune Negishi氏、キーボードのYuta Saito氏、

ギターのSusumu Sanada氏、

そして、ボーカル&ギター&テナーサックスの奥田民生氏、

拙者から奥田氏までの距離は約18m、昨年の8月の「モーニング娘。」のコンサートに比べれば超至近距離だった。

しかも、拙者自身何度もステージを踏んでいた場所で、音響・空間の間取りはよく知っている場所で、

ホーム・ゲーム感覚だった。

曲目はニューアルバム「E」と各年代のシングルヒットで、重量感のあるロックナンバーと、

気怠さのあるバラードなどの編成だった。

 

そして、今回のライブで拙者が注目したのは、リズムセクション!

ドラムスのパーツを少なくしてパワーとビートを強調し、細かいところをパーカッションでカバーし、

そのバランスをベースがリードするという形で、独特の重さを持ったリズムが打ち出されていた。

これがこのバンドのエンジンだな!と直感した。

奥田氏のライブ中のMCは寡黙で、独特のゆったりとした空間を演出し、観客のツッコミを目で殺していた。

そして、ロックナンバーで盛り上がったとき、中華仙道の基本技「大周天」をし、

奥田氏に向けて気を飛ばしドライブさせたら、さらにノリが良くなり公演終了後、2回もアンコールに応えてくれた。

ライブ終了後、途中からやって来たK氏と再開を喜び、再び音楽談議に花を咲かせ、「またいつか会おう」と別れを告げ、

楽屋の明かりを横目で見ながら、白い夜の街に俺は消えた。

 

翌朝、「壬生狼」の駐屯地へ出勤のため国道7号線を南下中の午前7時55分頃、

再び「ケンシロウのような気」を「ホテル・サンルート酒田・玉姫殿」の最上階から感じた。

接近して北側の駐車場を覗いたら、彼らのツアーバスが駐車されていた。

出勤後すぐに外回りの仕事だったので、再びホテルの前まで車を走らせ、
聞こえないのは分かっていたが車の窓を開けて、

奥田―――――! 昨日は有り難う! これからも頑張れよ!! と叫んで、普段の生活に戻った。


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