LRTへの疑問にひとこと(2)
-「路上を走る電車」がクルマを減らしてくれるしくみ-





 つぎに(2)の疑問についてはどうでしょう。
 レールの上からクルマ(緊急自動車は除いて)を排除して、信号なんかも電車を優先通行させて・・・ 確かに、路面を走る電車は一見「クルマのジャマ」のように見えます。それで大部分の人は、「LRTや路面電車はジャマだ」と思っているのではないでしょうか。
 一般市民の方だけでなく、仙台市当局の方まで新聞投書で「LRTと自動車交通は共存困難」※旨のことを、堂々とおっしゃっています。
※加藤 秀兵・仙台市都市整備局次長:河北新報平成10.10.6「論壇」より
 しかし、仙台市のように、渋滞の中のマイカーの比率が高い(つまり公共交通機関があまり便利でない)都市では、次のように考えればそんなことはないと思うのですがいかがでしょう?
 いままで何度もお話ししたように、LRTは利用者にとってトコトン便利になるように造られる交通機関です。乗り降りがしやすくて、速くて、安くて、経路が分かりやすくて、P&Rやバスとの乗り換えがしやすくて・・・
 つまりそこまで公共交通機関が便利になってはじめて、人々はクルマから乗り換えてくれます。公共交通機関が「ある」というだけではクルマからの乗り換えは進んでくれません。
 たくさんの人がクルマから乗り換えてくれると、乗り換えてくれた分だけ路上に出るクルマの数が少なくて済みます。つまり、それだけ道路のスペースが開いて渋滞の解消が大いに期待できる、ということです。
 クルマの「場所くいパワー」の大きさは、パート1でお話ししたとおりです。例えば、LRV1編成に400人乗るとすれば、平均1.25人で1台のクルマを使うとして計算すると320台分、1列に並べて約1.9km分の渋滞が無くなってくれるわけです。
 それに朝なんかは1人1台通勤に使うとして約2.4km!!これだけのクルマがわずか1編成のLRVで中心部に向かわなくて済むのです。(下の図)
 1編成のLRVで運べる人数を全てクルマに置き換えた、とした場合の車列の長さ。
 LRVの「『実際の』乗車人数」は、先の計算の結果により、約400人となる。

 この乗客1人1人が1台のクルマを運転したとして車列を計算すれば約2.4km、仙台市におけるクルマの乗車人員の平均は1.25人と言われているので、それで計算しても約1.9kmとなり、LRVの60〜80倍と断然長くなってしまう(車長は全車4.7m、車間距離は1.3mと仮定)。

 言い換えれば、これだけ長い渋滞もLRTを使うことで同じ人数を運ぶのに必要なスペースをずっとコンパクトにできてその結果道路が空く、ということである。

 世間ではしばしば、「LRTは1本の車線を独占して、しかも信号も優先するからクルマの渋滞がひどくなる」とか「LRTを路上に走らせると車線が『喰われる』ので大規模な道路の拡張が必要」などといわれているが、以上の事をしっかりと理解すればそれらの意見は正解と程遠い、ということがご理解いただけると思う。

 中には「車線を独占するLRTを導入するには、クルマの交通量を減らしてからでないとできない」などという声まである。「クルマの交通量を減らすため」のLRTなのだから、このテの声は「漫才」にすら聞こえる。

 次の点は特に重要なので強調させていただく。道路上の移動でジャマなものは、LRTではなくクルマの『場所喰い』という『クルマに取り付いた逃れられない運命』なのだ!!

 
 それだけ道路が空けば、LRTの恩恵に浴しない人やトラック、タクシーなどが使える分がグンと増える、と考えることができます。それらの人にとっても、結果として動きやすくなることになるのではないでしょうか?
 こう考えるとLRTは、「路上を走る」からといって、「クルマのジャマ」とも「自動車交通と共存困難」とも言えないのではないでしょうか? このことを頭に入れずに、単に「LRTはクルマのジャマで不便」という議論は空論と言える、というのはお分かりいただけるかと思います。
 えっ?「アタマでは分かるが実際はどうだろう?」ですって?
 じゃ、我が国の実際の例で、電車優先通行がある広島市内の路面電車(広島電鉄運営)の評判について、広島市内に住む方から話を聞く機会がありましたので、お話ししましょう。
 電車の路上でのスピードは40km/時と、決して速くありません。でも、電車が交差点で優先的に通れて※、レール上ではクルマが走れないので電車はスムーズに動き、市内の移動は結果として車よりも速いそうです。
 ※著者注:「電車優先信号」は一部の交差点で実施されており(6カ所)、「全ての交差点で」というわけではありませんが、「路上を走る電車」のメリットは充分生かされており「人」にとって「便利」な交通機関である、という印象は変わるところがありません。
 その方曰く、「路面電車は便利だから、みんな乗る。みんな乗るからその分道が空いてクルマもスムーズに動いてくれる。路面電車がなかったらとても不便だろう。みんな路面電車を支持しているよ」と。
 また、その方に広島市の新交通システム「アストラムライン」についての評判も訊いてみました。
 「ゆりかもめ」でおなじみの新交通システムは、ご存知の通り高架を走ります。ですから、路上や交差点でクルマと交わることもなく、スピーディーに走れて評判が良さそうな気がするのですが、実際の評判はその方曰く・・・
 「あれは、高架だから乗り降りが大変で運賃も高い※。使う人はあまりいないよ。」評判はあまり良くないそうです。
 ※著者注:「アストラムライン」でも運賃割引制度を行っていますが、それでも運賃の割高感は否めません。(広島路面電車市内線の大人運賃は150円均一に対し、アストラムラインは初乗り180円で従距離制)
 (写真左上)広島電鉄市内線。中心部の乗り降りは、(写真左下)のとおり私たちの「普段の生活空間」と同じ平面である路上にある。もちろん、地下鉄に比べてはるかに乗り降りがラクなのは、万人の認めることであろう。

 (写真右上)広島市内を走る新交通システム「アストラムライン」。走行メカニズムが特殊であるため、路線は必然的に高架または地下だけとなっている。
 (写真右下)「アストラムライン」の中心部の始発駅(本通駅)。地下駅となっており、他の駅も全て高架・地下駅となっている。駅内での上り下りを2回繰り返さなければ電車に乗って目的地に行けないのは、地下鉄と同じ「ハンデ」である。

 新交通システムの輸送力はLRTなどよりは高いとはいえ、「路上を走る電車」の乗り降りのラクさを「学習」すると新交通システムの乗り降りのしにくさが強く感じてしまうのは、利用者の一人として率直な感想である。
(広島市内で撮影)

 以上、我が国でも「路面上を走る電車」と「自動車交通」が「立派に共存」しており、公共交通機関が不便であれば、たとえあっても支持してもらいにくいことを示す好例でしょう。
 「路面上を走る電車」と「自動車交通」の共存は、外国や我が国の他の大都市でできていることです。仙台市でもできないはずはないと思いますが・・・
 しかもLRTは、立体交差をしなければならない部分では、高架や地下線にして分離することで、クルマとの共存がよりしやすいのではないでしょうか?
 「路上を走る電車がクルマと共存できる」という法則は欧米でも広島市でも成り立つのに、仙台市では成り立たないと言えるのでしょうか?
 広島市の中心部(写真左)、「原爆ドーム」を背に(写真中)悠々と走る広島電鉄の市街電車。
 郊外を走っている鉄道線である宮島線(写真右、高須駅)からも直接乗り入れており、「LRT」といえる運行形態を持っている。毎日たくさんの人(1日あたり軌道線12万5千人、鉄道線5万5千人)が利用しており、広島市のすばらしい「都市の装置」として活躍している。

 このすばらしい「都市の装置」も、かつては苦難の時期もあった。昭和38年、道路渋滞を緩和する目的で軌道内に乗用車の乗り入れを許可したところ電車も渋滞に巻き込まれてしまい、利便性が急激に低下して利用客が減ってしまった。そこで、広島県警により昭和46年に再度軌道内の自動車走行を禁止したところ、再度利便性が確保されて乗客が戻ってきた。

 官民挙げて「路上を走る電車」の利便性を向上した結果「街中の移動」を便利にするのに大きな成果を挙げている好例であることを、このエピソードは物語っている。この写真にある中心部の道路の交通量はそれなりに多いが、クルマは比較的スムーズに流れることが多く、「電車によってクルマがジャマされている」という感じはしなかった。「便利な街の装置」にたくさんの「お客様」を引きつけている成果だろう。

 もし市街電車の利便性を下げたり廃止したとしたら、「お客様」が「場所くい」に流れてしまうことになる。そうなれば、例え軌道のスペースをクルマのために空けたとしても、この広い道路といえども「場所くい」であるクルマでいっぱいになってしまうだろうということは、仙台市のように市街電車を廃止したたくさんの地方都市の状況が物語っている。

 「路上を走る電車がクルマと共存できる」というのは、欧米でも広島市でも成り立っている。複数の都市で成り立っているこの「法則」は、仙台市など他の都市でも成り立たないはずはない、と考えるのが自然な発想であろう。

 「クルマ中心主義」から転換してでも「いかにして公共交通機関を便利にするか」を突き詰める発想を持たなければ、「便利な街」に近づくことさえままならないだろう。

 「いかにして『動きやすい街』にするか」を実現するのにはLRT等の「平面を走る鉄軌道」の特長を充分に活かすことでも大きく役立つ、というのは、欧米・広島市などの都市から導き出された「法則」と言えよう。仙台市をはじめ他の都市も、これから学べることは多いのではないか?

 広島から学ぶべきものは、「平和の尊さ」だけにとどまらない。

(広島市内で撮影、この説明文の主なデータの引用元:「路面電車とまちづくり」P110、RACDA編著、学芸出版社刊)

 「LRTなど路上を走る電車はクルマのジャマ」という議論は、「LRTなどが便利になってはじめて、クルマの交通量が減って道路が空く」という視点に全く欠けている
としか、私には思えません。みなさんはどうお思いでしょうか?




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