LRTへの疑問にひとこと(4)
-「過ぎたるは及ばざるが如し」-





 さて、最後の疑問です。確かに、LRTは路上を走るから接触事故の可能性は否定できないのは事実でしょう。 一方、リニア地下鉄はクルマと交わることが全くと言っていいほどなく、クルマとの接触事故などは、まず考えなくて良いでしょう。
 だからといって、「LRTはリニア地下鉄より危険で、『東西線』への導入に値しない」と言えるでしょうか? そういえば、外国ではLRTが危険で困ったという話は聞いたことがないし、我が国でも路面電車の危険性が問題になって廃止論議が起きた、ということも聞いたことがないし・・・
 ここで、「少しでも危険性がある交通手段はこの世にあってはダメ」という議論に質問です。
 クルマはこの世に存在してはいけないのでしょうか?

 飛行機はどうでしょうか?

 今の世の中、「自動車交通大戦争時代」と言われるようになって久しくなっています。テレビを見ていても、死亡事故のニュースが出ない日はむしろ珍しくなっているくらいです。
 その「戦死者」は、1年間で1万人以上。「戦傷者」はその数十倍になっているといいます。 平成7年に起こった阪神・淡路大震災の犠牲者約6400人よりも、ずっと多くの人たちがたったの1年間で「交通戦争」の犠牲になっているのはご存知の通りです。
 これだけでも、クルマは「少しも危険性はない」とはとても言えないシロモノでしょう。いや、これも・・・
「クルマ中心社会」の重大な弊害だ!!
 また、飛行機も、クルマよりは事故頻度ははるかに低いのですが、一度墜落事故が起こってしまうとたちまち多くの犠牲者を生むことになります。昭和60年に起こった日航機墜落事故(犠牲者520人)など、悲惨な飛行機事故は私たちの記憶にたくさん残っています。
 これだけの犠牲者を出し続けながら、これらクルマや飛行機はなぜこの世から排除されないのでしょう。「クルマは危ないから一切無くして鉄道で移動させるようにしよう」とか、「飛行機事故は悲惨だから、全面的に船で移動しよう」とか言う話は、どこからも聞いたことはありません。
 えっ?「船の沈没だって悲惨だよ。映画『タイタニック』を観たことあるの?」ですって? ええ、そりゃー観ましたよ。あんなにすごい映画はなかなかありません。
 実際に起こった大事故だけに、映画のスケールといい、今沈没せんとする大船の上で「目の前の死」と向き合うたくさんの人たちの心理描写といい・・・ 胸への「響き」が作り話とは全然違う。 涙モンでした。 うるうるーー
 ああ、また話がそれてしまった。まあ、ここで言いたいことは、「クルマや飛行機が決して少なくない犠牲者を出し続けながら、なぜ淘汰されないのか」ということです。このサイトにいらしている方のほとんどは、「クルマなんか一台もなくなってしまえ」なんて言うつもりはないでしょう。
 私もそんなことを言うつもりは全くありません。こんなに多数の犠牲者を出しているにもかかわらず、です。これはいったいなぜなのでしょう?
 答えはただ一つ、「それぞれの交通手段の有用性・利便性が、それ自身が持つ危険性をはるかに上回っている」からに他なりません。「他の代わりの交通手段に比べて危険性がどう」ということではないのです。
 クルマがどんなに便利か、と言うことはもうここでクドクドお話しする必要はないでしょう。たくさんの人がクルマによって毎日受ける有用性は計り知れません。ですからたくさんの「交通戦争犠牲者」を引き替えにしても、私たちはクルマを使い続けるのです。
 飛行機はどうでしょう。交通手段の中で「大量死亡事故」の可能性が常にあるのに使い続けられているのは、繰り返しますが危険性より有用性がずっと高いからです。
 鉄道で数時間〜1日もかかるところが飛行機ではたったの1〜2時間ぐらいで着けるし、世界中どこでもほとんどの地域まで3日もあれば行けるでしょう。こんな芸当ができるのは飛行機のおかげです。
 以上のように、それぞれの交通手段は、有用性・利便性が危険性をはるかに上回っていれば存在が許されているわけで、「クルマが鉄道より犠牲者がずっと多い」とか「飛行機事故は悲惨極まりない」という理由でクルマや飛行機が淘汰されることはないのです。
 LRTはもう何度もお話ししたように、毎日常にたくさんの利用者が受ける有用性・利便性は地下鉄をはるかにしのぐほど大きいでしょう。
 それなのに、わずかな他車との事故の可能性のために、LRTの多くの利便性を全て捨てて地下鉄にすることは、「クルマを全部捨ててみんなで歩こうぜ!」と言う議論と同レベルの空論といえるでしょう。
 地下鉄だって100%安全とは言い切れません。トンネル内で脱線、火災があるかも知れないし、地下鉄出口にクルマなどが突っ込んできて利用者が被害を被るかも知れません。平成7年東京で、「地下鉄サリン事件」などという憎むべきテロも実際に起きました。
 阪神・淡路大震災の時は、地下鉄の駅がつぶれました。テレビで、あの悲惨な光景をご覧になった方は多いでしょう。もしあの地震がラッシュの時間帯に起こっていたら・・・ と思うとゾッとします。
 以上で言いたいことは、いくら「安全」という地下鉄、いやこの世にある全ての交通手段の安全性は「100%」とはならないということです。
 以上の話を言い換えるとつぎの通りです。地下鉄の安全性を、便宜上99.99%として、LRTの安全性を、事故は実績上かなり少ないが車との事故の可能性は地下鉄よりはあるので98%とします。
 その差1.99%のために、LRTが毎日与えるたくさんの有用性を捨てる意義があるのだろうか、ということです。このわずかな1.99%のために大きな代償を払おうとするのはどう見ても無意味でしょう。
 第一、LRTが危険だというのならば、同じくまとまった乗客を輸送して他の車との事故の危険性が常にあるバスの存在はどうなるのでしょう。「バスが仕方ないがLRTはダメ」と言う議論は、自己矛盾に他ならないでしょう。
 中には、「LRTの利用者は道路を渡ることがあって、クルマにはねられる可能性があるので危険だ」という方がいるかも知れません。じゃ、バスは? 同じ危険性があるのでは?それでも足りなければ、「横断歩道は危険だから、日本中にある横断歩道を全て撤去せよ」とおっしゃるのですか?
 第一LRTなど「路上を走る電車」は、先にお話ししたとおり軌道の上しか走りません。つまり、人やクルマが軌道に入らない限りは電車との事故は絶対にあり得ません
 一方クルマはどうでしょう? 電車と違ってどこでも自由に動けるのですが、反面、スリップやハンドル操作の間違いなどで思わぬ所に突っ込んだり、運転ミスで軌道内を走る電車とぶつかったり・・・
 電車とクルマとの事故は、ほとんどはクルマ側の非と言えるのです。クルマが軌道に入らなければ、電車とクルマの事故は起きようがないからです。
 「クルマとの事故の可能性があるから『路上を走る電車』は危ない」というのは、「どこにでも突っ込みうる」というクルマの危険性を棚に上げて電車に危険性の責任を転嫁した話と言えるでしょう。 それって、おかしいと思いませんか?
 (写真)広島電鉄市内線。これら電車は、当然のことながら軌道以外は絶対に走ることはない。言い換えれば、クルマとの事故はクルマが軌道内に入らない限り起き得ない。つまり、電車とクルマの事故は、クルマが誤って軌道に入る「クルマの危険性」によるものがほとんどと言える。こう考えると、危険性の責任を電車に転嫁するのは「筋違い」であると言えよう。
  
 私は、「安全性はどうでもいい」と言っているわけでは決してありません。
 公共交通機関は当然「安全第一」でなければなりません
 ただ私が言いたいのは、例えて言えば、いくら防火のためとは言え、鉄筋コンクリートムキ出しの壁や床、鉄製のテーブルやドア、そして石綿のふとんしかない家にする必要まではないのではないか、ということです。
 こんな家があるとすれば、私たちが普段目にしている家よりは確かに防火能力は高いでしょう。
 しかしこの「超防火住宅」は「便利で快適」でしょうか? いくら火災に強いと言っても、こんな家に住もうとする人はいるでしょうか?
 「自動車事故の可能性があるのでLRTをやめてリニア地下鉄にする」というのは、「火災が恐いから普通の便利な家をやめて「超防火住宅」を建てる」というようなものではないでしょうか?
 「超防火住宅」の想像図。
 天井・床・壁はコンクリートむき出し、ドア・ベッドなどの家具は鉄製、ふとんは石綿製である。
 電気は? テレビは? ストーブは? カーテンは? 壁紙は? ・・・いやいや、火災の恐れがちょっとでもあるものは全部だめ!
 うん、ここまで徹底すれば火災なんて恐くない! 寝タバコだってできる! さあ炎よ、どこからでもかかってこい!・・・

 でもみなさん、いくら「火災に強い」とは言ってもこんな家に住む気はありますか? こんな家ならば、留置場の方がまだ住み心地が良いのでは?(私は入ったことがないのでよく分かりませんが・・・)

 何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」である。

   
 いくら「火事が恐いから」といっても、世の中に、ここまで不便な「超防火住宅」をしかも「一生もの」と言えるようなカネを払ってまで住もうという人がいるでしょうか?
 いるかっ!! そんなヤツ!!
 
格言:「過ぎたるは及ばざるが如し」




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