「ハラを空けて闘うボクサー」は「惨敗」!





 さて、胸に手を当てて考え直したところで、もう一度確認しましょう。「仙台東西線」の最大の目標って、何でしたっけ?
 そう、鉄道に乗り換えてもらうことで、渋滞の解消、環境の改善を図り、クルマを使わずとも「人」にとって便利な移動ができるようになること、つまり「クルマ中心」の現状からの脱却だったのではないでしょうか?
 つまり、この計画では、クルマは「脇役」、いやいや、極端な話「ライバル」なのです。「ライバル」から客を奪還しなければ、「勝利」つまり「目的の達成」はままならないのです。
 商売をされている方はお分かりかと思いますが、普通、ライバルの店や会社から「お客様」を1人でも多く奪還するために、あらゆる労を惜しまず、戦略を練って実行に移すでしょう。
 時には、「社長、やってらんないっスよー」と泣きべそをかく社員に「商売のためだ。ガマンしろ!」とカツを入れることもあるでしょう。そんな経験のある社長さんも多いことでしょう。それほど、商売は「お客様第一主義」に徹することが当然でしょう。
 ところが、「東西線問題」を議論する際、「ライバルから客を奪還するにはどうするか」という「戦略的視点」がほとんど論じられていないのを見受けることがあります。
 どこの世界に、そんな「戦略的視点」を持たずに商売する店や会社があるでしょうか? それじゃ「殿さま商売」だ。 「何でもいいから」とか「鉄道でつないだからそれで良し」とかいう考えは決して持ってはならないのです。
 それは、「できたから使え」というのは、「殿さま商売」以外の何物でもないからです。ねえ、社長さん・店長さん。みなさんの会社(店)の製品を「作ったから買え」なんて「押し売り」する人は、まともな人ならひとりもいないでしょ?
 「実際に使う人」つまり「お客様」を最優先に考えるのは第一、ということは当然です。しかし、この「お客様第一主義」つまり「『実際に使う人』第一主義」の精神が、一部の議論では重要視されていないことがあります。例を挙げて考えてみましょう。
 新聞や雑誌などの都市交通問題を扱っている記事などで、LRT導入の可能性についての質問に対して次のような趣旨のコメントをされる方を目にされたことのある方は多いと思います。
 LRTを導入しようとすると、電車が1車線分を独占して走り、しかも信号も電車優先なので、クルマにとってジャマになってしまう。だからLRTは自動車交通と共存しにくく、導入は適切でない・・・ 
 みなさんの多くは、このサイトにいらっしゃる前は、この類の発言を聞かれると「うん、もっともだ」とお思いでしたでしょう。ところが、ここまでこのサイトでお話ししたことを理解した上で改めて聞くと、大部分の人は「なんかヘンじゃない?」と感じられるでしょう(感じられるようになって欲しいと思いますが・・・)。
 「LRT否定論を展開している」・・・それもないことはないのですが、ここではそれ自体は大きな問題ではない、大きな問題は
「ライバル」であるはずのクルマを、「人」という「お客様」を運ぶ「商売道具」・公共交通機関より優先順位を上位に置いている
ことです。社長のみなさん、みなさんが商売をされるとき、自分の商売敵を自分より有利な方向に置くようなことをされていますか? そんな方は、恐らくほとんどいないのではないでしょうか?
 私が、「全線地下式」の鉄道が「仙台東西線」に不向きでLRTが最適、と考えていることについては、本文でお話ししたとおりです。お読みになった方はお分かりと思いますが、私がそう考えている理由は、決して「最初にLRTありき」ではないのです。
 単に、実際に使う「人」にとっての使いやすさ・コストパフォーマンス・(現在知り得る)需要などを勘案した結果、この計画の場合は他の機種より優れている、と判断したからに過ぎないのです。
 LRTは、「中心〜郊外間の流れから外れる」大道路などどうしてもクルマとの接触を避けなければならないような箇所では立体交差にすればいいだろうし、中心部などで路上走行がどうしても困難な場合は、(なるべく浅い)地下線・駅を最小限に設けることで便利でスムーズな交通体系を造れるのではないかと考えています。
 「実際に使う人」のためにも、そして「便利な」LRTに人が流れたことで交通量が減ったクルマにとっても・・・ この私の考えは、「『実際に使う人』をクルマより優位に置いている」ということにこだわっています
 そうしなければ、「クルマから『鉄道』に乗り換えよう」という気が起きないからです。利用者のひとりとして。
 「全線地下鉄道」は、本文でも触れましたが、東京などのように「クルマよりも地下鉄が便利である」という明らかな合理性がない限り、「ライバル」に遠慮した発想以外の何物でもありません
 どこの世界に、対戦相手に本気で勝とうとして、「オレの土手っ腹にボディーブローをブチ込んでくれていいや」とハラを空けて闘うボクサーがいるでしょうか?
 もしこんなボクサーがいるとしたら勝敗の行方はどうなるでしょう?
 そうですね。 みなさんお察しの通り、勝負は「惨敗」でしょう。
 これと同じように、「どうやって、クルマから客を奪還できる公共交通機関を仕立てるか」という発想を持たずに、ただ『ライバル』のクルマに遠慮した発想のままで「勝負」に挑んだとしても、やはり「惨敗」となるのは誰の目にも明らかでしょう。
 それに、「『クルマ優位』の発想」というのは、その発想の根底には「クルマに乗らない(クルマ以外の)ヤツはジャマだから(道路と同じ平面から)どいていろ」という考えがどこかにあるような気が、私にはしてなりません。
 「全線地下鉄道」など「立体型鉄道」が、大多数の「実際に使う人」にとって「クルマを捨ててでも使いたい」と思わせる状況でない場合、事実上利用者に「不便なモノを押しつけている」形になってしまう、と言えるでしょう。「押しつけられた」利用者はたまりません。
 そうならないように、どうしたら「実際に使う人」が本気で支持してくれるか、「実際に使う人」の身になって胸に手を当てて考えて・・・ どうやって「実際に使う人」の大部分が「本気」になって支持してくれるような計画にするか
 そして、「本気」で支持してもらえるように、どう合理的な説明を市民にできるような計画を立てるか・・・それは「舵取り役」といえる都市計画の「プロ」である当局のみなさんのウデの見せ所でしょう。
 「『実際に使う人』の身になって」とか「『便利』に」・・・ 同じ言葉が何回も繰り返されるのもお読みになったみなさんはさぞかしお疲れでしょう。 いやあ、お話ししている私だって疲れた。本当は趣味のサイトにしたかったのに・・・ そうすればどんなに楽しいことか・・・
 また、中には「何当たり前のこと、何回も?」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。しかし、現状をみる限り、「『実際に使う人』の身になって」とか「『実際に使う人』にとって『便利』に」という「ごく当たり前」の考え方すら、ないがしろにされている向きが一部にある、ということは否定できないでしょう。
 そんな「根幹の中の根幹」ともいえる「土台」が軽視されている傾向があることを憂いてるのでありまして・・・ はい。




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