「市民との協働」の「実践」を!





 前の項では、仙台の最も重要な施策のひとつと言える「仙台東西線」計画に関する質問が市議会で出されたにもかかわらず、その事実すら市民に知らされないということについてお話ししました。「重要な施策」なのに市民に知らされない、という点で一市民として不可解です。
 最近、「東西線」問題に関する市行政側の動きで、一市民の目から見て不可解なことがありましたのでお話ししましょう。
 仙台市側は、「東西線」の機種を選考する会「東西線機種等検討会」(以下「機種等検討会」と略)を結成して、機種選定に当たりました。平成11年度中にどんな機種にするかを決定しました。
 普通、このような検討会が組織されたらその段階から、どんな人が入っていて、いつ会議が開かれてどんな内容が話し合われたのかが公にされていて当然です。ところが・・・
 平成11年3月から検討会が開かれたのですが、検討会のメンバーが明らかにされたのは、11月24日に開かれた仙台市議会の「東西交通軸促進調査特別委員会」(以下「議会委員会」と略)が初めてとのことです。
 そのメンバーは、仙台市都市整備局、仙台市交通局、日本鉄道建設公団、都市交通問題の学識経験者ら8人で構成されていました。
 この「機種検討会」は、第1回が3月に開かれて合計3回開かれたのですが、いずれも非公開、しかも、「会が開かれた」ということすら知らされていなかったのです。
 何度もしつこいくらい繰り返してきたのですが、この「東西線」は、「お客様」であり「納税者」である私たち市民はじめ利用者のための計画なのです。それなのに、私たち市民には何も知らされていないなんて・・・
 仙台市側は、「議論の途中でまだ報告する形にまとまっていない」ことを理由に非公開にしてきたのだそうです。こんな状態に、「議員委員会」の方々からは・・・
     
  • 「情報を早めに公表して欲しい」  
  • 「検討内容が逐一報告されていない」  
  • 「財政上の見地からも機種の選定は重大な問題で、当局は認識が不足している」  
  • 「交通問題の専門家ばかりで、利用者の側に立つ検討委員がいない」
 と批判続出です。当たり前です。「大プロジェクト」であるほど重要で基本的な「情報公開」の流れに反していると言えるのですから・・・
 これら批判に対し、仙台市都市整備局長さんは
     
  • 「機種についての資料はこれまでも委員会に度々提出している。」  
  • 「検討会の内容がまとまった段階で資料を提示した方が理解が深まると思った。」
 と答えています。市側が「議会委員会」側に提出した「資料」って、いったいどんな資料でしょう? 「東西線」計画の「本来の主役」である私たち市民にも、包み隠さずに公開していただきたいものです。もちろん、「正しい」資料をです。
 第一、「議会委員会」の方々が「機種等検討会」が開かれなかったことすらご存知でなかったワケですから、市側が「議会委員会」に提出したと言う「資料」なるものは、「機種等検討会」で話された内容をどれだけ明らかにしているのでしょうか? 私たち市民にもぜひ教えていただきたいものです。
 もっと気になるのは、都市整備局長さんの下の発言「まとまった段階で資料を提示した方が理解が深まると思った」というくだりです。
 都市整備局長さんは、「まとまってから教える」とお話しされているのです。でも、一市民の立場から言わせていただけば、逐一教えて下さった方が、気が付いたときに意見を言えたりできるので、早めに逐一教えて下さった方が「実際の利用者」の声を計画に細かく反映できて、より良い「みんなの足・東西線」ができるのではないでしょうか?
 「まとまった段階」の前の段階で資料を逐一提示された方が、私たち市民をはじめみんなに解りやすいと思います。都市整備局長さんがご心配になっているほど「議会委員会」の方々や私たち市民の理解力は悪くないと思います。どうぞご心配なく「早めに逐一」お教え下さい。
 私たち市民が心配しているのは、市側から逐一情報が与えられることで「情報の消化不良」を起こすことよりも、「まとまった」段階で結果が初めて発表されて「もうこれで決まりましたからみなさんよろしく」で話が打ち切られてしまうことです。
 上で「議会委員会」の方が御指摘のように、「財政上の見地からも機種の選定は重大な問題」なのです。それなのに、今のところ市側からの情報は極めて限られていますので、私たち一般市民が「東西線」計画について動きを知らされていることは、残念ながらほとんどないと言わざるを得ません。
 できあがった「東西線」を毎日使ったり、造るのに必要な莫大な費用を税金で支えたりするのはいったいだれでしょうか? それは紛れもなく私たち市民です。それなのに、「東西線の主役」に知らされることがほとんどない今の状態って・・・
 「機種検討会」の結果がまとまった段階で初めて公開され、もしその段階で「決まりましたからもう変えられません」ということがあればそれは
「決まったものはだまって受け入れろ」
 と私たち「東西線の主役」に「御触書」を出すことと同じです。こんな「闇討ち」があればそれは許されることなのでしょうか? みなさんはどうお考えでしょうか?
 えっ?「今までシンポジウムや説明会でたくさんの市民の方から意見を訊いたから充分なのではないか?」ですって? でも、その「意見の訊き方」というのに対して少々疑問がありますので、お話ししたいと思います。
 仙台市は今まで、「東西線」に関するシンポジウムや説明会で、「東西線に関するご意見をご記入下さい」という「ご意見用紙」を参加者に配り、それを回収することで「市民の意見を訊く」という方式を主に採っていました。こうすれば、みんなの意見を訊いてくれそうで一見良さそうな気がするのですが・・・
 でも、その「ご意見用紙」を私たち市民が出した後の扱いはどうなるのでしょう。それは、受け取った側の意思に完全に委ねられるのです。「ご意見用紙」を提出する方式では、市側と市民との間の意志疎通が不充分なのです。
 「ご意見用紙」方式は、「受け取った側の胸先三寸」という危険性を常にはらんでいます。
 「東西線」に関する市主催のシンポジウムや説明会で、私は、一般聴衆者が発言できるためのマイクが置かれているのを、ほとんど見たことがありません。「ご意見用紙」だけなのです。ギャラリーにいる一般市民が「質疑」できる時間もほとんどありません※。なぜなのでしょう?
※平成12年2月9日の仙台市主催のシンポジウムでは質疑の時間がありましたが、ギャラリーからの「質問をさせて下さい」という強い声に押されて実現したという印象を強く感じました。少なくとも、行政側から「積極的に生の声を聴こう」という意気込みは感じられませんでした。
 「市民の意見をしっかり訊きたい」という明確な意志があれば、一般聴衆者の質疑応答の時間を充分にとるのが一番効果的なのは、だれだって解ることだと思うのですが・・・
 「東西線」に関して疑問や質問があれば、マイクで直接市担当者の方にお話しして意志疎通を図らないと、市側と一般市民のギャップは埋まらないのではないでしょうか?
 市側と一般市民のギャップが埋まらないまま「東西線」計画を進めても、それによってできあがった「巨額の街の装置」は、成功するのでしょうか? 巨額のお金がかかる事業、「失敗でした」では済まされません。
 こう考えていくと、市主催のシンポジウム等で行われる「ご意見用紙」方式は、一般市民の意見をしっかりと政策に反映する方式とするには、不充分なのではないでしょうか?「ご意見用紙」の「ご意見」は、「運営する側の気持ち次第でどうにでも扱える」危険性が常にあるわけですから。
 長々とお話ししましたが、市側から「市民の意見を訊いた上での結論ですから変えられません」と言う発言があっても、その言葉にはどれだけの信憑性があるのでしょうか?
 仙台市都市整備局のみなさん、「機種等検討会」のみなさん、「闇討ち」はなしですよっ! みなさんが現在お持ちの「東西線」計画で「市民との協働」を実践する意思がおありであれば、「情報公開」もまだまだ進めることができるのでは、と思うのですがいかがでしょうか?
 あの広報パンフレットの言葉「市民との協働」を、ぜひとも「実践」して頂きたい思います。
※この項の参考資料:
朝日新聞H11.11.25記事、河北新報H11.11.25記事
 (写真)仙台市都市整備局総合交通政策部東西線推進室編集のパンフレット「21世紀のまちを育む仙台市東西線」の裏表紙。『市民との「協働※」により進めます』とある。この計画で「市民との協働」を実現するには、本来ならば「利用客」「納税者」である市民に充分な情報公開をした上で市民と正当な議論を行うことが必須である。

※協働:同パンフレットでは、「共同の担い手として、適切な役割分担のもとに責任と成果を共有し協力して働くことを意味します。」と説明している。

 ところが、今まで長々とお話ししたことから、この「市民との協働」という言葉が本当に実践されているかどうかの結論としては、市側から「正しい」情報がほとんど出てこない現状を考えると、今のところは残念ながら「否」という結論を出さざるを得ない。

 私のような一市民が望んでいることは、何のことはない、この「市民との協働」という言葉を「実践」して欲しいということだけである。

 「街の中が動きやすいかどうか」ということは、その都市にとって生命線と言えるほど重要なことである。それを実現するには、「街の主役」である「市民との協働」は決して欠かせないことである。「主役なしの街づくり」が成功するとはとても思えないからである。

 もちろん、「正しい情報」がなければ市民は「正しい判断」ができない。市民が「正しい判断」ができるように導くことも、市行政の本来の任務なのではないだろうか?これらの話は、決して奇異な話ではないと思う。

 この「市民との協働により進めます」が「本当の言葉」となることを、一市民として祈ってやまない。これは決して悪口ではない。「杜の都」が、本来の姿としてあるべき「住む人にとって最良の街」となり、全国に誇れる「模範教師」となるためにも・・・





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